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テーマ:横浜散策(66)
カテゴリ:【横浜】お散歩
生まれも育ちも横浜(*^ω^*)
新しいくて素敵なスポットがたくさんあるし、 長い歴史を感じるスポットも盛りだくさん! 馬車道辺り、海岸通りの手前の セブンイレブンの横に解説板発見! どれどれ… 「開国当時の元浜町」 安政6年(1859年)6月横浜開港以降、「関内」地区は神奈川運上所(現 神奈川県本庁舎の位置)の東側を外国人居留地、西側を日本人居住地としていた。 この地は古くは久良岐郡横浜村といい、安政6年(1859年)の横浜開港に際して新設され「海辺通」と町名を付けられた。 その後、明治4年(1871年)4月にこの地先の海岸を埋め立て、その地を「海岸通」とされたため、元の「海辺通」は「元浜町」と改称された。そして、明治22年(1889年)4月の市町村制施行の際に横浜市に編入され、現在の横浜市元浜町となった。 このあたりから山下町の町界線上の地域にかけては昔その名のとおり「浜」のあったところで、「元浜」とは「元」浜であっただけでなく、横浜という地名の発祥地であると考えられるところから「元」の横浜と考えてもよいと思われる。 大正11年(1922年)、この地には、酒類・食料品問屋である鈴木洋酒店(現 伊藤忠食品)の支店があり、主に港に停泊する船舶との取引を行っていた。 安政6年(1859年)横浜開港当時には、亀屋和助というお方の家屋が建っていた記録も残されている。 また、文久元年(1861年) 9月この地の関内大通りの西側には、俗称芝居新道に下田屋文吉が関内唯一の芝居小屋「下田座」を開業、明治3年(1870年)8月には佐野松と合併し、関外の羽衣町に移転した。 平成27年9月 プロスタイル横浜馬車道 管理組合 最初は横浜村、 開港して海辺通に、 埋め立てで海岸通ができたので元浜町に… 歴史と共に名前が変わっていったのですね〜(º ロ º๑) 運命に翻弄された地名! ----- 地名に物語あり(º ロ º๑) 地名散歩 地図に隠された歴史をたどる (角川新書) [ 今尾 恵介 ] 入院のお金の話をこちらでしています! 2021年の医療費(入院あり)はこちら 2022年の医療費はこちら 2023年の医療費はこちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.08.04 22:30:26
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