とある虎キチ商社マンの。。

2011/12/28(水)14:18

SANYO

三洋電機の解体が完了した。。 子供のころ、井植記念館に歩いて行ける距離に住んでいた私にとっては 感慨深いものがある。あの巨大な敷地に「なんぼもっとんじゃい」と子供心 (子供らしくなくてすいません。(^_^;))に思ったものだ。。 関西人ならSANYOとPANASONICが同根であることを知っている人は多い。 SANYOとPANASONICはタクシーでワンメーターの距離。三洋電機の 創業者、井植歳男は松下幸之助の義弟であり、黎明期の松下電器産業 (現PANASONIC)で幸之助の右腕として働いた。 終戦直後、松下電器はGHQに財閥指定を受け、経営者の総入れ替えを命じ られる。会社に残れるのは1人だけ。幸之助の右腕として松下電器を 切り盛りしていた井植歳男は「大将がおらんと、松下は回らん。わしが 辞めます」と言って身を引いた。 故郷に帰って漁師になるつもりだった歳男に、ポンと50万円(現在の 価値で約2億円)を貸し、起業を促したのが住友銀行だった。 SANYOは創業以来、人のやらないことをやり、人の行かないところへ行く ことで存在感を示してきた。だが自信を深めたあとはニッチに飽きたらず、 王道に踏み込もうとした。半導体と大型液晶。電気製品の頭脳である半導 体と部品の王様である液晶パネルを持てば、PANASONICやSONYと正面から 渡り合えると。。 半導体では韓国勢が、液晶では台湾勢がSANYOの前に立ちはだかった。 そしてその分野に身の丈を超えた巨額投資をしてしまったSANYOは 銀行にも、同根のPANASONICにも助けてもらえず解体の憂き目に。。 東海道新幹線から見える三洋電機のシンボル「ソーラーアーク」に書かれた 赤い「SANYO」の文字は取り外され、「PANASONIC」に代わるという。。。 Ps 井植記念館をGOOGLEおよびその地図で調べたところ当時と変わらず 存在しています。 http://www.iuekinenkai.or.jp/ (-。-)y-゜゜゜

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