とある虎キチ商社マンの。。

2023/06/20(火)14:36

どうする家康17

第23回は築山殿事件の導入部分となった。瀬名が武田と通じていたという事件。歩き巫女との密会を五徳によって信長に通報される。 ところが実際に処断は下ったのは水野元信。これは冤罪だったと言われている。佐久間信盛が水野の所領を狙って元信の謀反を信長に讒言したということらしい。 佐久間信盛は、実際に信元の領土を受け継ぎ、さらには信元と近い久松信俊に言い掛かりをつけ自害に追い込んだり、久松家に攻め込み信俊の子どもを殺したりと非道を繰り返している。 信盛は4年後に信長から追放されている。信長は、信元は冤罪だったとして家康のもとにいた信元の弟の忠重を呼び寄せ、水野家の所領を回復させている。 その後、水野家は家康の譜代大名として重用されているのはよく知られている事実。老中水野忠邦はその子孫。 家康は信長との同盟を仲介してくれたり、三方ヶ原合戦で逃げるのを手伝った恩人であるおじさんを信長の命とはいえ誅殺せざるを得なかったということになる。 水野信元は戦いも強く、外交もうまく、石高も大名並であったことから、目をつけられていて、佐久間の讒言を渡りに船で信じてしまったのではないかという説もある。 この事件といい、築山殿事件といい、まだ勢力を持つ武田氏といい、まだまだ家康には難題が次々とふりかかる。 

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