「残額○○円です」
先週だったかな、朝、バスに乗ったら、黒いサングラスを掛けて 白い杖を持った男性が、優先席に 座っていました。その男性は、私が降りるのよりも 手前のバス停で、降りたんですけど。交通系カードを ピッとタッチして 支払いをしたとき、運転手さんが その男性に「○○円 いただきました。 残額 ○○円です。」と言っているのが、聞こえてきました。ああ、私、そこまで 気づいていなかったな・・・。目が見えない(あるいは 極度に見えづらい)ということは、パネルに表示される金額も、見えない。だから、カードの残高が どれくらいなのかも、わからない。考えてみれば、当然のことなのですが。私は、この場面に立ち会う この瞬間まで、そのことに 思い至ってはいなかった。だから、もし 私が 運転手さんのような立場だったとしても、そのような声を掛けるのを 思いつくことすらなかったでしょう。そんな自分の 視野の狭さに、軽いショックを 受けながら・・・(私、なんにも わかっていないんだな、と。)バス会社の研修で そういう教育を受けているのかも?と、その場は それで 通りすぎました。その運転手さんは、降りていく男性の後ろ姿に、「お気をつけて」というような言葉も 掛けていました。そして、今朝。たぶん同じ方だと思うのですが、先日と同じような光景に 出会いました。会社の研修で 教わっているのならば、他の運転手さんでも、同じことをするでしょう。だけど、今朝の運転手さんは、特に なにか言葉を掛けることは、ありませんでした。・・・ということは、会社の研修の成果ではなく、運転手さんの、個人の資質の問題だったんですね。もしかしたら、障害の程度によっては、「わざわざ 教えてもらわなくても、自分で 金額を 確認できる。(あるいは、管理している。)よけいなお世話だ! 」「金額を読み上げるなんて、プライバシーの侵害だ!」と 感じさせてしまうケースも、あるのかもしれません。だから、そういうサービスは あった方が良いのかどうか?というのは、当事者でないと、わからないですね。(当事者だとしても、個々、意見は異なるかもしれない。)それでも やはり、「そういうところに 考えが至るかどうか?」は、人間としての器、というか、視野の広さ、角度の柔軟さ・・・そういったものに依るところが大きいように、思います。ひとは、自分の経験の範囲内のことにしか気づけないものなのかもしれないけれど。いかに それを 広げていくか? ということも、生きる目的のうちのひとつなのでしょう。ありがとうございます。