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「わたしは今、精一杯なんです。昔の感傷にふけっている時間なんてない。わたしがもしいなくなったらひどい傷を負う人間がいる。それはずっとわたしと生活をともにしてくれてきた人たちで、だからわたしにできるせめてものことは、その人たちの痛手を少しでも軽くするようないい思い出をできるだけたくさん残しておくことだけで、わたしの目標はもう、それだけで、でもそれだけでも精一杯なんだから。」
昨日の日記に書いた「れんげ野原のまんなかで」は大変よい本でございました。 上記に白抜きで引用をしております。ここで止まってしまった。 この頃、また本が読めるようになってきていたのだけれど、是だから読書というのは油断できない。 私は傷を負ってなんかない。私はあの人に一番近しいものではなかった。家族でもなく親戚でもなく同僚でもなく同級生でもなく、当然、恋人でもなかった。ただの友人。 あれだけ周囲に理解者が集っていたのだから、もう誰にも旅立ちは止められなかったろうと思う。いくら考えてもそう思う。 あの人は、5月から元気がなかった。あきらかにくたびれていた。気にして声をかけたら小さく笑って、 「遊んでくれるの?」 小声でいった。 だから一回呑みに行った。それしかできなかった。手を離した。私は転勤してしまって、自分のことで必死だった。 (私があのままあそこにいたなら、止められたかもしれないのに。) いや、そんなことはない。これは運命だった。あの人の前には、こうなる道が一直線に伸びていて、あの人は自分で決めた。 あの人の理解者はあの頃周りに集っていた。 悲しんでいる人がいる。傷ついている人がいる。あの人の周囲に何人も。 (どうして。) 口に出せない問いを繰り返す。止められなかった。何度も思う。何度6月を繰り返しても、あの人の意志を、どうやっても止めることはできなかったろう。そうしてまた、言い訳かしらと頭を振って。 助けることができたのかしら。助けたかった。どうしても。 切り替えろ、と連れは言う。 今の私の言葉は過剰か寡少のどちらかで、日常に浮いている。 ずれている。人を傷つけている。ごめん。わかってる。このままじゃいけない。おかしい、私。 ドウシテアノヒ、デンワヲカケルノヲヤメタノダロウ。 「悩みがあるんだ。」 2年前、夜空を見上げてぽつん、言った人を亡くしたときにも後悔した。もうこんなこと、繰り返さない。 それなのに、「元気がないんだ」給湯室で小さく笑った君を亡くした。 ごめん。ごめんなさい。 私じゃなければ止められたかもしれないのに。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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