静岡県立美術館「徳川の平和」と鼎談7
このような蕪村の作画態度を、竹田はケツと言ったのであり、けっして間違っていると非難したのではありません。だからこそ竹田は、「それでいてともに同時代の第一人者の位置を占めるライバルだ」と結んでいるのです。 それにもかかわらず、最終的に竹田は、「近ごろ大雅・蕪村の二翁を並べて称するが、これはよくない」と結論を下すことになります。つまり、蕪村は大雅に及ばないと言っているのです。 文人画家竹田にとって、中国南宗画を軌範とする古典主義の立場から完全に自由になることは、生易しいことではなかったのでしょう。 あの個性際立つ浦上玉堂と親しく、またその絵画世界を高く評価していた竹田でしたが、一世代前の先輩画家には、やはりオーソドックスな美を求めずにいられなかったのかもしれません。