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千葉市美術館「初期浮世絵展 版の力・筆の力」<2月28日まで>(2月8日)
大英博物館、シカゴ美術館、ホノルル美術館をはじめ、海外からも多くを里帰りさせつつ、初期浮世絵の版画と肉筆画の優品200点が、浮世絵の始祖・菱川師宣を生んだ千葉の地に集められました。素朴ながらも力強い存在感を発揮した初期浮世絵の美を堪能させてくれる、本邦初の総合的特別展ですが、僕的に言えば「カオスの魅力」に尽きます。 「僕の一点」は、奥村政信のアルバム『遊君仙人』です。遊女を仙人の格好にことよせて描いた11図から構成されているそうですが、そのうちの「遊君 酒吸三教」が展示されていました。しかも驚くべきことに、その版木も一緒に並べられているのです。ともに大英博物館のコレクション、少なくとも版木などは我が国にあったら消滅していたことでしょう。 儒教の孔子、道教の老子、仏教の釈迦が、桃花酸というお酢をなめて、その酸っぱさに顔をしかめる「三酸図」という画題がありますね。それぞれ説くところは違っていても、究極の教えは軌を一にするという意味でしょう。今は銘酒「呉春」に代表される池田酒の樽を囲んで、遊女、比丘尼、陰間の三人が一杯やっているところが描かれています。比丘尼というのは尼の姿をした下級遊女、陰間は男色の相手をした美少年です。タイトルに「遊君 酒吸三教」とあるとおり、伝統的な三教を、享楽の世界に遊ぶ当世風俗の三人に見立てた作品です。 このような絵画を見立絵と呼んでいます。最近、僕も編集に参加した『浮世絵大事典』が国際浮世絵学会から出版されました。これに「古典物語や故事、謡曲などの題材を、当世風俗で描き出し、その置き換えの機智を楽しむ趣向を持つ絵を、近代以降、一般的に見立絵と呼んでいる」とあるのが、まずは見立絵の定説だといってよいでしょう。 しかし僕は、当世風俗を古典物語や故事、謡曲などを使って描き出したのが見立絵だと、逆に考えています。まず浮世絵師に当世風俗を描きたいという表現意慾があって、そのシチュエーションとして古典を借りてくるのです。俗なる当世風俗を雅なる古典世界へと昇華させる上昇ベクトルを考えたいのです。 それは見立絵本の最初とされる『絵本見立百化鳥』(1755年)に、すでにはっきりと示されています。例えば巻頭の「はぼう木」と「ちり鳥」は、羽箒と塵取という俗を、草木花鳥という雅に見立てたのであり、そこには明らかな上昇性が感得されます。決して強引なコジツケなどではないのです。 似た言葉に「やつし」がありますが、本来みすぼらしい様子に変えることですから、少なくとも『遊君仙人』には使いたくありません。実をいうと両者はかなり混用されていましたが、19世紀になると「やつし」の用例がほとんどなくなるそうです。これは古典に絶対的価値がなくなったか、現実の地位がそれを凌駕するようになったからでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.03.21 16:22:02
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