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2016.11.26
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カテゴリ:美術

 「紅葉賀」については、『与謝野源氏』からの引用を掲げることにしましょう。       

朱雀院の行幸は十月の十幾日ということになっていた。その日の歌舞の演奏はことに選りすぐって行われるという評判であったから、後宮の人々はそれが御所ではなくて陪観のできないことを残念がっていた。(桐壺)帝も藤壺の女御にお見せになることのできないことを遺憾に思召して、当日と同じことを試楽として御前でやらせて御覧になった。

源氏の中将は青海波を舞ったのである。二人舞の相手は左大臣家の頭中将だった。……同じ舞ながらも面づかい、足の踏み方などのみごとさに、ほかでも舞う青海波とは全然別な感じであった。舞い手が歌うところなどは、極楽の迦陵頻伽の声と聞かれた。源氏の舞の巧妙さに帝は御落涙あそばされた。……藤壺の宮は自分にやましい心がなかったらまして美しく見える舞であろうと見ながらも夢のような気があそばされた。その夜の宿直の女御はこの宮であった。……

  翌朝源氏は藤壺の宮へ手紙を送った。

   どう御覧くださいましたか。苦しい思いに心を乱しながらでした。

    物思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の袖うち振りし心知りきや

   失礼をお許しください。

  とあった。目にくらむほど美しかった昨日の舞を無視することがおできにならなかったのか、宮はお書きになった。

    から人の袖ふることは遠けれど起ち居につけて哀れとは見き

    一観衆として。

 たまさかに得た短い返事も、受けた源氏にとっては非常な幸福であった。支那における青海波の曲の起源なども知って作られた歌であることから、もう十分に后らしい見識を備えていられると源氏は微笑して、手紙を仏の経巻のように拡げて見入っていた。






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最終更新日  2016.11.26 21:30:34



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