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2017.02.19
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カテゴリ:美術

京都美術工芸大学2016年度教養教育科目

技芸と文学(Arts and Literature) ⑦五山文学

201702210224 園部キャンパス 河野元昭

 

南北朝時代~室町時代 禅宗 禅林 漢文学 蘭渓道隆 一山一寧 北条時宗

鎌倉五山(建長寺 円覚寺 寿福寺 浄智寺 浄妙寺)

京都五山(南禅寺<別格> 天龍寺 相国寺 建仁寺 東福寺 万寿寺)

外交官的役割 四六駢儷体 漢詩 義堂周信『空華集』 五山版 詩画軸 応永詩画軸

 

河野元昭 玉畹梵芳ほか賛「柴門新月図」(藤田美術館蔵)

<河野元昭が撰ぶ水墨画50選>

 竹林に囲まれた茅屋の屋根が見えます。その柴垣の門の前では、二人の男性が挨拶を交わしていますが、これは別れの挨拶であることが、上に書かれた序文から分かります。つまり右側の人が茅屋の主人であり、左側の人は帰っていく客、その左に少し離れて立っているのは客に従う童児です。月は天心にかかり、夜もかなり更けているのですが、二人は分かれがたく名残を惜しんでいます。

このような情緒纏綿たる画趣は、現代人の少し苦手とするところですが、たとえば自分がこの客人になったつもりで主人に話しかけてみれば、とても楽しい鑑賞体験を味わうことができるのではないでしょうか。周文の筆と伝えられる「竹斎読書図」を紹介したときお話したように、このような見方を感情移入、ドイツ語でアインヒュールングというのです。

 図上には長い序文と、十八首の漢詩が書かれています。序文を書いたのは玉畹梵芳、春屋妙葩に学んで、建仁寺や南禅寺の住持をつとめた臨済宗の名僧です。序文の内容を要約すると、以下のとおりです。

杜甫の詩に、「白沙翠竹 江村の暮 相送れば柴門に月色新たなり」という句があります。その詩意を絵に描いた「柴門新月図」に、我が南禅寺の僧たちが詩を題し、杜甫にならって南隣の友に贈ることになりました。見ると、そのみごとな詩画一致ぶりに感心せざるをえません。その「南隣の友」とは、南渓という美丈夫で、学問も大変すぐれているそうです。本当にそうならば、彼の美しさと詩画のすばらしさを合わせて、ここに三傑がそろったことになります。 

杜甫における南隣の友とは、杜甫が成都に作った小庵、浣花草堂の南隣に住んでいた朱山人なる隠者ですが、玉畹がいう南渓なる若い僧については、何も判っていません。ただ、ものすごいイケメンだったようで、多くの僧が彼にあこがれていたのでしょう。玉畹の序文に続く漢詩の中から、玉畹の七言絶句を私の戯訳で掲げておきましょう。

 水辺に建ってる茅屋よ 竹の林は雲霞のよう

 不意に問い来る友人と 日の暮れるまで清話せり

 きれいな景色 誉[]む心 併せ持つこと難しい

 月が出たのにもう帰る 君 送らねばならぬとは

 南北朝時代から室町時代にかけて、このような形式の水墨掛幅画が大流行しました。つまり、あまり大きくない画面の下の方に水墨で絵を描き、上の方に題や序文や漢詩を賛として書き加えるもので、当時から詩画軸と呼ばれてきており、現代でもこの名称がそのまま用いられています。とくに応永年間、熱狂的に愛好されたので、応永詩画軸などと呼ばれることもあります。

詩画軸のことを勉強するときには、必ず『禅林画賛 中世水墨画を読む』(毎日新聞社)という本を手元に置かなければなりません。そして監修者である島田修二郎先生の論文「室町時代の詩画軸について」を読まなければなりません。

それによれば、詩画軸は単なる山水画などでなく、特定個人の書斎の図と、送別、招帰の意思をこめて、それに類した想いを詠んだ古人の詩句を選びとり、その趣を描いた詩意図なのです。もっとも本書では、山水的作品を送別・訪友図、書斎図、山水図に分けていますが、この分類も遺品全体を考えるときには悪くないでしょう。

また島田先生は、「題辞、題詩が単に画図をみた印象、感想を述べるだけでなく、画図の主題と密接な関連があって、画図の十分な理解のためにはその詩文の解釈が欠かせないとか、題跋の加わることが予期されるというような条件をおくことが必要であろう」と指摘しています。

 さらに島田先生は、詩画軸の急速な発展の要因として三つを挙げています。第一に五山文学の目ざましい発展と禅僧の文人化、第二にこれと歩調を一にした絵画の世俗化、第三に元代中国からの影響です。

第三の点に関して、中国で題画文学が盛んになるのは北宋に文人画家が輩出してからですが、元代に入ると題画詩は格段に盛んとなるそうです。その例として、張中筆「桃花幽鳥図」(台北・故宮博物院蔵)や、紀州徳川家旧蔵の雪窓筆「墨蘭図」が挙げられています。

そのころ日本の禅僧がたくさん元に渡りましたし、長くかの地に留まり、中国文化を持ち帰った場合も大変多いのです。流行する題画詩も彼らによって日本へもたらされた可能性が高いという指摘は、正鵠を射るものでしょう。

この「柴門新月図」は玉畹序文の年記により、応永十二年(一四〇五)に制作されたことが判りますから、現在遺っている詩画軸の中で、もっとも年代がさかのぼる作品ということになります。この点でも、「柴門新月図」の重要性はきわめて高いのです。

(『月刊 水墨画』20145月号)






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最終更新日  2017.02.19 06:00:05



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