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2017.02.22
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カテゴリ:美術

京都美術工芸大学2016年度教養教育科目

技芸と文学(Arts and Literature) ⑩禅宗

201702210224 園部キャンパス 河野元昭

 

禅 禅那 坐禅 只管打坐 大乗仏教 禅宗 28祖・菩提達磨 南インド

6世紀中国伝来 梁・武帝 崇山・少林寺 面壁九年 来日説 

神秀・北宗・漸悟 慧能(六祖)・南宗・頓悟 慧可 道教 五家七宗

不立文字・教外別伝・直指人心・見性成仏 禅文化

栄西 臨済宗 道元 曹洞宗 隠元 黄檗宗 五山 中村元 隠遁・独善→宥和・慈悲

久松真一 簡素・枯高・自然・静寂・脱俗・幽玄・不均斉

白隠慧鶴(16851768) 駿河(静岡県) 松隠寺 日本臨済禅中興の祖

『夜船閑話』 禅画 墨蹟

 

河野元昭「東京都美術館『若冲展 生誕300年記念』(2016425日)」

 去年は琳派400年記念祭の年で、大いに盛り上がりました。とくに琳派のメッカ京都は、ブームと呼んでもいいような雰囲気に包まれました。僕もけっこう提灯を持ってはしゃぎまわりましたが、どこか醒めていて、来年はみんな琳派の「り」の字も言わなくなって、若冲ジャクチューで大変だろうなと思っていました。その見立ては、「日本人は新しいものにすぐ夢中になる」というお雇い外国人教師アーウィン・フォン・ベルツ博士のちょっと耳に痛い指摘とともに、『京都新聞』のリレーエッセー「サロンクワトロ」に書いたところです。予想通りというべきか、はたまたヤハリというべきか、いま第二次若冲ブームが湧き起ろうとしています。その第一弾こそこの特別展です。早速に出かけてみると、オーディオガイドは、去年、俵屋宗達のNHKBSプレミアムで一緒させてもらった憧れの仲谷美紀さん、これまた早速借りて堪能したことでした。

 「僕の一点」は言うまでもなく、33幅すべてが出陳されるというサプライズでも話題の「釈迦・文殊・普賢図」+「動植綵絵」です。若冲は40代半ばから10年間をかけ、心血を注いでこれを完成させました。50歳のとき、まず「釈迦・文殊・普賢図」と「動植綵絵」のうち完成していた24幅を相国寺に寄進しました。跡継ぎとたのんでいた弟の宗寂がその年没したので、これを弔うとともに、自分自身の永代供養もあわせて祈願するためであったようです。そして父親の33回忌にあたる55歳のとき、「動植綵絵」の残り6幅を追加寄進、この大事業を終えたのでした。  このような個人的菩提供養の気持ちのほかに、この傑作のバックグランドとして、「山川草木悉皆成仏」という仏教思想があったと考えられています。

早く唱えた人があったように記憶していますが、梅原猛さんの著作や相国寺・有馬頼底さんの講和によってひろく認められ、定説化されたように思います。この言葉の出典は?と思って、愛用の『岩波仏教辞典』を引いてみましたが出ていません。仕方がないので、逗子市図書館に自転車を飛ばし、これなら大丈夫だろうと『望月仏教大辞典』や中村元先生の『仏教語大辞典』を繰ってみましたが空振りです。そして遂に行き着いたのが、有馬頼底さん監修の『茶席の禅語大辞典』、これには「山川草木悉皆成仏」と立項され、次のように説明してあります。

「一仏成道、観見法界、草木国土、悉皆成仏」という出処不明の偈文もとづく語。一仏が成道したならば、世界はその仏に属するから、山川草木もすべて成仏するという思想をあらわす。

 なーんだ、出典なんかないんです!! 出典なんか無くっても、若冲がこれを表現しようとした可能性は残りますが、若冲はきわめて真摯な仏教者であり、達磨の思想をとても真面目に考えていたというのが卑見です。この辞典によれば、偈文ですから禅に関係する語ということになりそうですが、この大らかな語感はむしろ浄土教に近いようにも思われます。もうちょっとよく知るべく、これから末木文美士[ふみひこ]さんの『草木成仏の思想』を読もうとしているところなのですが……。そのあとで結論を出したいと思いますが、より直接的には、禅のもっと正統的な教えを無視すべきじゃないと愚考します。そもそも若冲は、禅に強く惹かれていました。「動植綵絵」を相国寺に寄進したことが、何よりの証拠です。

相国寺は禅宗の一派である臨済宗の寺院です。伊藤家の菩提寺が浄土宗の宝蔵寺だったことを考えれば、若冲は浄土宗よりも禅宗の方に立ち位置を求めていたといってもよいでしょう。もし若冲が禅そのものに傾倒していなければ、相国寺に寄進するはずがありません。人間的には、当時最高の詩僧と目され、ついには相国寺113代住職となった大典顕常から圧倒的影響を受けていました。周知の事実です。その思想的類縁性については、かつて『國華』1225号に書いたことがあるのですが……。晩年、若冲は臨済禅から黄檗禅により一層強く吸引されたようですが、両者は兄弟関係に結ばれていて、差異はそれほど大きくありません。黄檗禅も紛うかたなき禅宗だったわけで、若冲は禅の人であったといって間違いないでしょう。

禅宗はインドの僧・達磨が中国に伝えて大いに発展したあと、栄西によって我が国にもたらされた仏教の一ジャンルです。仏教の真理は座禅によって直接に体得されるべきであると規定するのです。そして不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏という4つの言葉にそれを象徴させます。『岩波仏教辞典』は、その出展として『興禅護国論』を挙げ、謡曲なども紹介しています。不立文字は御経の文字から離脱すること、つまり御経を絶対視しないこと、教外別伝は説教の外に体験によって別に伝えるものこそ真の教えであるとする考えです。直指人心は直接的に人の心をとらえなければならないとする教え、見性成仏は自分の持って生まれた性質をそのままに現すことが悟りに達する最高の道であるという思想です。「見」は「現」と考えれば、分かりやすいように思われます。

改めて「動植綵絵」を眺めてみましょう。それは御経の経文や内容から離れた動植物のシャングリラです。鶏をはじめとして、すべて若冲が実見した動物、慣れ親しんだ植物です。鳳凰のような空想の鳥もいますが、これについては、「旭日鳳凰図」や「虎図」(プライス・コレクション)の自賛をもって、答えに代えることにしましょう。「動植綵絵」を見る人は、予備知識などまったくなくても、その絵画世界にすぐ魅了されてしまいます。また、若冲生来の素直な心根や現世に対するオプティミスティックな見方、自然をいつくしんで止まぬ情緒などが、そのまま「動植綵絵」に表現されていることを否定しようとする人はいないはずです。

このように考えてくると、「動植綵絵」は禅の真髄ともいうべき4つの命題そのものではありませんか。もちろん、若冲が禅の教えを表現するために、あるいはそれを心に念じながらこれを制作したわけではありません。まったく意識することなく、禅の教えを視覚化することに成功したのです。しかしこれこそが「見性成仏」であり、若冲は禅至高の悟りに達していたといっても過言ではありません。もしそこに触媒として作用したものを仮定するとすれば、かの大典禅師をおいて他にはないでしょう。山川草木悉皆成仏説を認めるとしても、若冲が心から深く傾倒していた禅とのさらに強い靭帯、より一層直接的な影響関係を想定したいのです。このような私見は、例のごとく牽強付会の気味が濃厚ですが、若冲の発見者である辻惟雄さんと参ZENしたこともある僕の思いつきですから、ちょっとは耳を傾けていただきたいのですが!?

(「K11111のブログ」)






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最終更新日  2017.02.22 08:56:18



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