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しかし、少なくとも句自体は宮津時代のものにちがいないと思いますが、もしや猜疑心の強い方?がいらっしゃるようでしたら、40歳の時、確かに宮津で詠まれた次の一句を掲げることにしましょう。 みじか夜や六里の松に更けたらず 『蕪村句集』には、「雲裡房に橋立に別る」という前書があります。雲裡房は渡辺氏、支考門の尾張俳人で、蕪村は丹後滞在中、彼を迎えて歌仙を巻いたことがありました。 また、天の橋立は六丁一里で六里となるので、「六里の松」といえば天の橋立を指すことになるそうです。 ふたたび『蕪村全集』によれば、「いつまでも話は尽きないのに、はや別れねばならぬ。名残惜しい気持ちは、たとえてみれば、夏の短夜がこの長い天の橋立をすっかり闇にせぬ間に明けたようなものだ」というのが句意となります。 たとえとして詠まれているだけですが、短夜が明けようとするころの微妙な光が、この惜別の一句をとても印象深いものにしています。つまり、蕪村の微光感覚を考える際、絵画においても俳諧においても、丹後はきわめて重要な場所であり、宮津時代はきわめて重要な3年間なのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.03.20 06:00:20
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