カテゴリ:美術
この「閑雲洞」は、これまで閑雲山真照寺か、閑雲楼とも号したその住持、真照寺鷺十と考えられてきましたが、花谷さんは閑雲洞と号した東陌ではないかと推測しているのです。その論考は、すでに『俳文学研究』59・60号に発表されています。 鷺中はともかく、東陌についてはまったく何も知りませんでしたが、鷺中と同じく、宮津俳壇の重鎮と目されていた俳人だそうです。僕はネットで「東陌」を検索してみました。 すると舞鶴市糸井文庫書籍閲覧システムがヒットし、そこに東陌編『俳諧丹後の名寄』(1780年刊)という俳書があることが分かりました。もちろん花谷さんも引用するところです。そのウエッブの注記に、「東陌は細野氏、宮津横町住、菊巴亭、閑雲洞の号がある。晩年剃髪した。天明6年6月21日歿」とありました。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.03.25 06:00:12
[美術] カテゴリの最新記事
|