福岡県福岡市 『警固神社』
天神の街中、西鉄福岡駅の前に鎮座する神社。御祭神は神直日神(カンナオビノカミ)、大直日神(オオナオビノカミ)、八十禍津日神(ヤソマガツヒノカミ)。3柱の神を総じて警固大明神と号する。相殿に建角身命、豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)、神功皇后、応神天皇を祀る。警め、固(まも)る神として厄除けの御利益がある。200年(仲哀天皇9年)の神功皇后による三韓征伐の際に神直日神、大直日神、八十禍津日神の3柱の神が顕われ、軍衆を警固して勝利に導いたという。神功皇后は凱旋の後、神号を警固大明神と仰ぎ、福崎丘上(現在の福岡城本丸跡)に奉祀されたのが始まりと言われている。1601年(慶長6年)に黒田藩(福岡藩)の黒田長政が福岡城築城の際に一時小鳥神社と合祀し下警固村に遷し、さらにその後現在の地に遷され、1608年(慶長13年)に社殿が造営された。以来、福岡城の鎮守として歴代藩主から篤く崇敬された。1916年(大正5年)に県社に昇格。戦後の制度の改革により、現在は宗教法人警固神社と称している。毎年3月19日に春祭、7月19日に夏祭、10月19日に秋祭が行われている。神社石標。1916年(大正5年)に氏子より寄進されたもの。鳥居。1639年(寛永16年)に黒田藩2代目藩主の黒田忠之によって建立された石鳥居で、石材は糸島市の可也山から切り出したもの。同じ石材を用いて造られた鳥居が日光東照宮と上野東照宮にも現存しており、当社の鳥居と共に兄弟鳥居として扱われている。鳥居左手の河津桜。訪れた時は綺麗な花を咲かせていて、人工物が建ち並ぶ街中に小さな春を届けていた。手水舎。1934年(昭和9年)に氏子より寄進されたもの。狛犬。1828年(文政11年)に青銅製の狛犬が寄進されたが、太平洋戦争時の金属不足によって供出され、長らく台座のみが残っていた。現在の狛犬は1991年(平成3年)に奉納されたもの。神門。2008年(平成20年)の式年遷宮の際に建て替えられたもの。社殿。木造で拝殿は瓦葺の切妻屋根、本殿は銅板葺の流造。拝殿と本殿で一体化した造りになっている。福岡城の築城に伴い当社が一時小鳥神社と合祀し遷座した後、1608年(慶長13年)にこの地に鎮座し社殿が造営された。当時の社殿は1668年(寛文8年)に発生した大火災によって焼失し、その後黒田藩3代藩主黒田光之によって再興された。天照皇大神宮。御祭神は天照大神(アマテラスオオカミ)。日本国民の総氏神、太陽の神として崇敬されている。菅原神社。御祭神は菅原道真公。学問の神として信仰されている。燈籠。今益稲荷神社。御祭神は宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)。商売繁盛、事業繁栄の御利益がある。訪れた時は鳥居の新築工事が行われていた。針乃碑。1979年(昭和54年)に日本和裁士会福岡支部と福岡和服裁縫組合によって建立された。針乃碑の文字は亀井光元知事の揮毫。南の鳥居。御神水。水は良質な天然水を生み出す地層を再現した「ミネラルクリスタ―」によって生成されている。都市部の神社であるためか何だか先進的。神徳殿。社務所ビル。2022年(令和4年)に竣工。1階に社務所があり、3階に祭儀庫、4~6階に斎館がある。神社の周りはビル群に囲まれているが、その中でも巨大な境内の社務所ビルは一際目立つ。ショーケースに飾られている神輿。社務所ビルから見た境内。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村