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カテゴリ:大分県
大分県津久見市 『保戸島①』の続き。
景行天皇腰掛石。景行天皇がこの島に立ち寄られ、腰掛けられた岩と伝えられる。この周辺は埋立地で以前はここまで潮が来ており、この石も元々は巨大な岩だったという。 法照寺。浄土真宗西本願寺派の寺院。1597年(慶長2年)に僧の宗蓮が建立した(諸説あり)。1854年(安政元年)に再建。太平洋戦争にてグラマン機の機銃掃射を受け、柱に弾の跡が残っている。 海徳寺。浄土宗知恩院の末寺。1605年(慶長10年)に佐伯藩初代藩主の毛利高政の命により建立。保戸島空襲の時の遺骨で作られた骨地蔵が祀られている。 御大師様井戸。海徳寺の境内にある井戸。岩清水が湧き出ており、水質も良いことから水道が普及するまでは島民の飲料水としても使われていた。 墓地と町並み。 県道612号線。とても車が通れそうにない狭い道だが、れっきとした県道。道の端にはちゃんと県道612号の表示もある。車は通らない代わりに、リヤカーや自転車が走っている。 保戸島郵便局。島内でただ一つの郵便局。 御虎御前様。曽我物語の登場人物として知られる虎御前が、諸国慰霊の最中に遺体となって島に漂着し、保戸島の某氏が丁重に弔ったという。虎御前伝説は各地で伝えられているが、保戸島においては厄病除けの祭神とされている。 保戸島小学校・中学校。 戦没学徒慰霊碑。1945年(昭和20年)の太平洋戦争終戦間際に、アメリカ軍のグラマン機が島に爆弾を投下し、保戸島国民学校(現保戸島小学校)に直撃。児童125名、教員2名の命が奪われ多数の重軽傷者を出した。その当時の悲劇を忘れないようにと建立された慰霊碑で、犠牲となった児童と教員の名が刻まれている。 島の南端の港とカモンバイ(岩礁)。夏になると港で泳いで遊ぶ人もいるそう。カモンバイにはマツバキクの群落がある。 島の南端にある観音堂。亀の甲に立っている中ノ島観音様が安置されている。 島の南端からは四浦半島がすぐ目前に見える。 保戸島漁村センター。マグロ漁港の拠点となる場所。漁業通信速報が貼り出されており、各船の活動が一目で分かるようになっている。 乗船時間ギリギリだったが、フェリーに乗って帰路についた。 ↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてね にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.12.01 00:16:56
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