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2025.01.15
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カテゴリ:京都府
太閤豊臣秀吉を祀る神社で、全国に鎮座する豊国神社の総本宮唐門は国宝に指定されている。

御祭神は豊臣秀吉公。境内社の貞照神社には秀吉の妻である北政所おね(高台院)が祀られている。出世開運、厄除招福、良縁成就の御利益がある。

豊臣秀吉公は1597年(慶長3年)に伏見城で亡くなり、遺命によって京都東山連山の秀峰、阿弥陀ヶ峯の頂に埋葬される。翌年の1598年(慶長4年)、山腹に権現造の社殿が造営され、後陽成天皇によって「豊国大明神」の神号を与えられ神として祀られるようになり、社は豊国神社と呼ばれるようになった。当時の境内の広さは30万坪にも及び、「豊国祭礼図屏風」には当時の規模や祭事の盛大さが描かれている。しかし豊臣家滅亡後に徳川家康の命によって廃祀され、以後250年以上にわたり復興されず衰退。1868年(明治元年)、明治天皇によって再興の沙汰書が下され、1880年(明治13年)に旧方広寺大仏殿跡地に復興された。現在では豊臣秀吉公ゆかりの社として、出世開運の神様として全国から多くの参拝者が訪れている。

境内には豊国神社宝物館があり、豊国例祭図屏風をはじめとする秀吉公と桃山時代に関わる文化財が公開されている。拝観料は大人500円、中学生・小学生300円。

毎月18日に豊国廟月次祭が行われており、4月18日に豊国廟例祭、9月18日に本社例祭が行われている。例祭はどちらも一般参列はできない。


耳塚。豊国神社の正面に位置する。国の史跡に指定されている。秀吉輩下の武将が、文禄・慶長の役で戦功の証として朝鮮軍の兵から斬り取った耳や鼻を供養するために造られた塚。豊臣秀吉公にまつわる遺構の一つ。






石鳥居。神額には豊国大明神と記されている。


豊国神社の碑。




手水舎。手水鉢正面は豊臣家の家紋である桐紋が浮き彫りとなっている。さらに秀吉公のシンボルでもあるひょうたんが水の注ぎ口になっている。


参道。






唐門。国宝に指定されている。西本願寺、大徳寺の唐門と共に「国宝の三唐門」と呼ばれているものの一つ。元々は伏見城にあったと言われている。総欅造で、かつては彫刻などに金箔が施してあったと伝えられる正面に掲げられている豊臣大明神の神額は、後陽成天皇の宸筆。








拝殿。通常は唐門から先へは行けなくなっているそうだが、新年は一般公開され本殿近くまで参拝できるようになっていた。特に元日は沢山の参拝者が初詣に訪れ、長蛇の列ができていた。


本殿。1880年(明治13年)に建立。


貞照神社。御祭神は秀吉の妻である北政所おね(高台院)。1925年(大正14年)に創建され、以後秀吉公と隣り合わせるようにして鎮座している。




槇本稲荷神社。御祭神は倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)と思われる。


豊臣秀吉公像。陶製の像で、高さは1.1m。


社務所。


豊国神社宝物館。豊臣秀吉や安土桃山時代に関わる文化財が展示されている他、豊国神社の歴史が見られる。中でも「豊国祭礼図屏風」は左隻と右隻が両方展示されており圧巻。最先端技術を用いて作られた複製図も見られる。拝観料が必要で、料金は社務所で払う。




招福白虎と雲山青昇龍。京都美術工芸大学の学生さんが作成したもの。


鉄燈籠。重要文化財に指定されている。安土桃山時代から江戸時代にかけての釜師、鋳物師で、秀吉公から「天下一」の称号を名乗ることを許された辻与二郎の作。総高272.5cm、基礎の径は104cm。秀吉公の三回忌にあたる1600年(慶長5年)に奉納されたもの。




豊国廟。豊国神社から2km離れた場所にある。豊臣秀吉公の廟所。豊臣家滅亡後は廃祀された豊臣神社と共に荒廃していたが、1898年(明治31年)の秀吉公三百年祭に際し再建され、周辺が整備された。阿弥陀ヶ峯の山頂まで続く約500段の石段を上った先に、秀吉公の墓がある。訪れた時は時間がなかったため山頂には行けず、麓の拝殿までに留まった。



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最終更新日  2025.01.15 22:00:59
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