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カテゴリ:滋賀県
天照大御神の親神にあたる伊邪那岐神と伊邪那美神を祀る、全国に約240社ある多賀神社の総本宮。古くから「お多賀さん」の愛称で親しまれている。多賀大社庭園は国の名勝に指定され、本殿や拝殿など11棟の建造物が町指定文化財に指定されている。
御祭神は伊邪那岐大神(イザナギノオオカミ)、伊邪那美大神(イザナミノオオカミ)。国生みの神として八百万の神々を御生みになられた日本最古の夫婦神で、皇祖神として広く知られる天照大御神(アマテラスオオミカミ)の親神にあたる。古くから延命長寿、縁結び、厄除けの神として信仰を集めている。 712年(和銅5年)に書かれた古事記の写本の一つに「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也。(伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり。)」という記述があり、これが当社の起源だと言われている(諸説あり)。927年(延長5年)にまとめられた延喜式神名帳には「近江国犬上郡 多何神社二座」と記載があり、存在が確認されている。1494年(明応3年)に神仏習合が進み、神宮寺が建立される。中世から近世にかけて伊勢神宮、熊野三山と共に庶民の参詣で賑わい、「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」という俗謡で有名になった。朝野の崇敬が篤く、元正天皇、重源、豊臣秀吉の母大政所、豊臣秀吉、武田信玄などの祈願も社伝で伝えられている。江戸時代に入ると大火災や暴風に見舞われ社殿が焼失・倒壊を繰り返したが、彦根藩と幕府の寄進、寄付によって復興を果たし、1808年(文化8年)には本殿が再建された。明治維新後は神仏分離令によって神宮寺が多賀社から分離され、廃絶。1947年(昭和22年)に多賀大社に改称し、近年に入り複数の改修や造営が行われ、2002年(平成14年)に平成の大造営が行われ現在に至る。 春はしだれ桜(夜間にライトアップあり)、秋は紅葉の名所としても知られ、年間約170万人もの参拝者が訪れている。 年間を通して様々な祭典・行事が行われているが、中でも毎年4月に行われる古例大祭(多賀まつり)と8月に行われる万灯祭が有名。古例大祭は鎌倉時代の記録にもある多賀大社の最重儀で「馬まつり」とも呼ばれ、馬頭人、御使殿を中心に神輿、鳳輦、騎馬40数頭、氏子ら総勢500人の大行列が町を御渡りする。万灯祭は伊邪那美大神に感謝を捧げる祭りで、杉坂山で御神火祭が行われた後に境内に1万灯以上の提灯が灯され、多くの露店が並び様々な催し物が行われる多賀大社の夏の風物詩となっている。 ![]() ![]() 正面鳥居の石鳥居。一の鳥居は境内外にある。 ![]() ![]() 太閤橋。町指定文化財に指定されている。1638年(寛永15年)に造られたもの。豊臣秀吉が当社に寄せた信仰からそう呼ばれているが、実際には「太鼓橋」。神橋で、例祭の時にはこの橋を神輿が渡る。参拝者も自由に渡れるようになっているが、見ての通り勾配が急なので渡る際は注意。 ![]() 御神門。町指定文化財に指定されている。 ![]() 夫婦桜。1932年(昭和7年)に行われた昭和の大造営の竣工に際して、延命長寿、夫婦和合の御神徳に因んで植えられた。早咲きのしだれ桜で、3月末に綺麗な花が咲き誇る。 ![]() ![]() 手水舎。町指定文化財に指定されている。 ![]() ![]() ![]() ![]() 社殿。町指定文化財に指定されている。広大な境内の中、木々に囲まれた荘厳な社殿。拝殿から神楽殿、幣殿、本殿と続き、拝殿の両翼からは回廊が伸びている。木造で屋根はいずれも檜皮葺。拝殿は入母屋造で正面に千鳥破風を持つ。 ![]() 本殿。町指定文化財に指定されている。1930年(昭和5年)に再建されたもの。檜皮葺で三間社流造。 ![]() 能舞殿。 ![]() 神馬舎。町指定文化財に指定されている。 ![]() さざれ石。日本の国歌「君が代」で歌われているさざれ石。学名は石灰質角礫岩という。 ![]() ![]() 寿命石。俊乗坊重源(重源)が後白河上皇から東大寺再建の大勧進職に命じられた際、寿命守護を祈るために当社に参籠し、20年の延命を得て、東大寺再建の大業を成し遂げたと言われている。この寿命石は重源がその霊験をいただいたゆかりの石と言われている。現在では白石に願い事を込めて、寿命石に延命を祈願するようになっている。白石は授与所に用意されている。 滋賀県犬上郡多賀町 『多賀大社②』へ続く ↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてね ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() にほんブログ村 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025.01.23 23:29:33
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