福岡県福岡市 『紅葉八幡宮』
その名が示す通り、福岡市の紅葉の名所として知られる神社。獅子祭りは市指定無形民俗文化財、三十六歌仙額絵馬が市指定有形民俗文化財にそれぞれ指定されている。御祭神は神功皇后、應神天皇、菟道稚郎子命(ウヂノワキノイラツコノミコト)。他に玉依姫(タマヨリヒメ)、大己貴命(オオナムチノミコト)、事代主命(コトシロヌシノミコト)、菅原神、金山姫命(カネヤマヒメノミコト)、稲倉魂命(ウカノミタマノミコト)など十二柱の神が祀られている。安産、子守り、厄除け・災難除け、縁結び、開運出世の御神徳があり、その他にも子孫繁栄、疫病除け、武運長久など多数の御神徳がある。平安時代後期の治暦時代に、陸奥国より来住した柴田氏が産土神である八幡宮の御分霊を勧請したことが創祀とされ、その子孫である柴田蔵人佐繁信が橋本村(現西区橋本)に来住し、1482年(文明14年)に社殿を創建したと伝えられる。江戸時代初期には黒田藩(福岡藩)3代藩主黒田光之に篤く崇敬され、1666年(寛文6年)に橋本村から百道松原に遷座し、32000坪の広大な境内と社領百石が寄進される。その後も歴代藩主から篤い崇敬を受け、荘厳な社殿や能舞台などが建立され、大祭の日も藩主が定めた。1910年(明治43年)に境内に北筑軌道が横切るようになったため、1913年(大正2年)に現在の地に遷座した。現在は早良の総守護として崇敬され、秋は紅葉の名所として多くの参拝者が訪れている。年間を通して様々な祭事や行事が行われており、8月に紅葉八幡宮獅子祭り、10月に秋季大祭、11月にもみじ祭が行われている。中でももみじ祭が有名で、舞や太鼓が奉納され出店も多く出ている他、夜間に紅葉のライトアップも行われている。大鳥居。1666年(寛文6年)に黒田藩3代藩主の黒田光之から奉納された鳥居を再建したもので、大きさは県内最大級。神額は梶井宮親王(承仁法親王)真筆のもので、奉納当初は金色に輝いていたという。神楽堂。大正時代に建築されたもの。地面から少し高い場所に建てられており、神楽や筑紫舞が奉納される時には多くの参拝者が見られるようになっている。訪れた時は沢山の和傘が飾られていた。二の鳥居。御影石製獅子頭。除災、感染症終息祈願、獅子祭りの伝統を繋ぐシンボルとして、青と赤の御影石で造られた獅子頭。手水舎。利生の水。黒田藩4代藩主の黒田綱政がこの地に訪れた際に急な腹痛に悩まされ、山に鎮座していた稲荷神社を守る山伏(山に住んで修行をする僧)に祈祷させ水をいただくと腹痛が治ったという。綱政は大いに喜び、この地に利生庵という庵を建て、山伏を住ませたという。夫婦松。地中で根が絡まり、お互い寄り添うようにして立っている松の木。夫婦和合、恋愛成就の御利益があると言われている。子安石。安産を祈願する人はこの石を預り、無事出産したら子供の名前を書いた新しい石と共に奉納する。神功皇后が三韓征伐の際に皇子(応神天皇)を身籠られており、戦が終わった後に無事に出産できるようにと戦に臨むときに腰に巻かれたと伝えられる鎮懐石が由来となっている。歯固石。丈夫な歯が生えるように、食べ物に困らないようにと赤子のお食い初めで用いられる石。拝殿。モミジの木に囲まれていて、訪れた時は拝殿の色と同じく葉が真っ赤に染まっていた。もみじ祭りが行われていた最中で、すぐそばでは和太鼓が奉納され大いに賑わっていた。本殿。流破風造で、古くは木造だったがそちらは宝物と共に焼失してしまい、現在はコンクリート造りとなっている。神輿庫。地元の有志によって奉納されたもので、神輿や獅子頭などが納められている。宇賀稲荷神社。御祭神は宇迦御魂神(ウカノミタマノカミ)。前述の利生の水でもあった、かつてこの地に住んでいた山伏が守っていた神社。古くは宇賀神社、稲荷神社の2柱が鎮座していたが、紅葉八幡宮が当地に遷座した際に合祀され現在の社名になった。家内安全、商売繁盛の御利益の他に、神社を守っていた山伏が黒田藩4代藩主の黒田綱政の体調を癒したことから病気平癒の御利益もある。紅葉山山頂。モミジ、松、桜の木が植えられており、市民の憩いの場となっている。昔は展望台もあったそう。祖霊殿。所謂神道式の納骨堂。もみじ祭りの夜。赤く紅葉したモミジの木はライトアップされ光を纏い、飾られていた和傘や提灯にも灯が灯り、境内が鮮やかに染まる。宇賀稲荷神社は社殿に狐の影絵が映されていた。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村