京都府京都市 『常寂光寺』
読みは「じょうじゃっこうじ」。百人一首にも詠まれる小倉山の中腹にある日蓮宗の寺院。山号は小倉山。多宝塔が国指定重要文化財に指定されている。本尊は十界大曼荼羅。妙見堂に妙見菩薩を祀る。元々は藤原定家の小倉山荘「時雨亭」があった場所とされる。慶長年間に日蓮宗大本山本圀寺第16世究竟院の日禎上人が、この地に隠棲し開創。常寂光土のような風情から常寂光寺の寺号が付いた。同時期に小早川秀秋の助力を得て、伏見城の客殿を本堂として移築し造営。1616年(元和2年)に本圀寺の客殿南門を移築した。1620年(元和6年)に多宝塔を建立。1890年(明治23年)に歌仙祠が建立され、1994年(平成6年)に改築された。春はしだれ桜、初夏は青もみじ、秋は紅葉、冬は雪化粧と四季折々で様々な姿を見せ、連日多くの参拝者が訪れている。拝観料は500円。山門。江戸時代後期に改築されたもの。常寂光寺の入り口で、この先にある受付にて料金を払って参拝する。山号碑。参道。訪れた時はまだモミジが色付き始めた頃だった。見頃になると見事な紅葉のトンネルとなる。展示場。参道の左手の丘の上にある。近くに休憩所がある。仁王門。仁王門としては珍しく、茅葺屋根となっている。貞和年間に本圀寺客殿の南門として建立されたもので、1616年(元和2年)にこの地に移築された。境内にある建造物の中では最も古いものとなっている。仁王像は福井県小浜市にある長源寺から移されたもので、目と足腰の病に御利益があるとされている。春照坊。滝。石段。ここを上ったところに本堂がある。本堂。平瓦葺。慶長年間に小早川秀秋の助力を得て、伏見城客殿を移築し本堂としたもの。正面に見える扁額は当山第14世一道院日法上人の修法を称え、霊元天皇より賜ったもの。日本庭園。本堂の裏にある池泉式庭園。苔とモミジ、池に浮かんだ落葉が風情を醸し出していた。庫裡。本堂のすぐ右手にある。鐘楼。1642年(寛永18年)に再建されたもの。元々の梵鐘は太平洋戦争で金属供出により溶かされてしまった為、1973年(昭和48年)に京都工芸繊維大学の青木教授の音響設計により現在の梵鐘が造られた。妙見堂。妙見菩薩を祀る。妙見菩薩は北極星を象徴した菩薩で、宇宙万物の運気を司り、国土を擁護し福を増益する菩薩として尊崇されている。当山の妙見菩薩は、慶長年間の保津川洪水の際に流れ着いた菩薩像を角倉町の船頭が拾い上げ、享和年間にこの地に遷座したもの。京都御所から見て西の方角に当たることから「酉の妙見菩薩」とも呼ばれ、江戸時代から昭和初期にかけて多くの参拝者で賑わったという。鳥居があるが…神仏習合の名残だろうか?開山堂。歌仙祠。藤原定家、藤原家隆の木像を安置する。1890年(明治23年)に建立され、1994年(平成6年)に改築されたもの。時雨亭跡。藤原定家の小倉山荘「時雨亭」があった場所とされているが、複数の候補地がある為実際にあったかどうかは定かではない。戦前までは庵室があったが、台風により倒壊しており現在も再建されていない。多宝塔。国指定重要文化財に指定されている。高さ約12mで方三間、重層、宝形造、檜皮葺。釈迦如来と多宝仏が安置されている。1620年(元和6年)に建立。勅額は霊元天皇の宸筆。展望台から一望した京都市の景色。境内の紅葉。境内に見えたイチョウの巨樹。末吉坂と山の斜面に生した苔。休憩所の東屋。女の碑。太平洋戦争の勃発によって多くの若い兵士が亡くなり、その若者たちと結婚するはずだった多くの女性が独身のまま自立を強いられることになった。この碑は戦後1人生きた女の証を記し、戦争を二度と繰り返してはならないという思いを込めて、独身婦人連盟の会員が中心となり常寂光寺の支援の下で建立されたもの。定家山荘跡石碑。かつてはここに祠があり、現在歌仙祠に祀られている藤原定家の木造はその祠に安置されていたという。園林堂。境内にある納骨位牌堂。庭園は住職自らが作庭したものだそうで、浄土をイメージした造りとなっている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村