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今回の大晦日もまたモンペリエに住む友人アンドレとジュヌヴィエーヴに誘われた。アンドレの妹がジュラの田舎に住んでいてそこのRéveillonにいくので来ないかということだった。私たちは何度かモンペリエでRéveillonを過ごしたがジュラは初めてであった。何となく田舎のコミューンで行われるレヴェイヨンには乗り気がしなかったがアンドレやジュヌヴィエーヴの何時もの親切さに、思わず“ウイ”と言ってしまった。
Bonne Année 2006 出発したのが12月30日、この日はフランス全国が寒波に見舞われ各地に大雪が降った日である。途中、ブルゴーニュのソーリューに立ち寄り三ツ星レストラン「Le Relais Bernard Loiseau(旧・Cote d’Or)」を横目で見ながら隣の安くておいしいレストランで昼食をとりブザンソンに向かった。 そこまでは良かったのだがその後、雪はひっきりなしに降り続きせっかくの美しい雪景色もうらめしいばかり、車の中で聞くラジオのニュースも<A何号線で事故があり渋滞とか、高速道路が凍って危険なのでトラックは通行禁止とか>物騒な話ばかりで「あーあー、こんな恐ろしい思いをしてなぜジュラの田舎のレヴェイヨンにいかなければいけないのだろー」と二人で後悔したものだった。日も暮れて暗くなってしまった頃ブザンソンに着いた時は私たち二人ともすっかり肩がこっていた。 踊るアンドレとジェンヌヴィエーヴ 翌日はレヴェイヨン!Arc en Senans(アーク・アン・スナン)という町の公民館のような所であるらしい。ジェラール・コレット夫妻、アンドレ・ジュヌヴィエーヴ夫妻、そして私たちは着飾って会場にむかった。参加者はもちろん近くの町や村に住む中年以上の人たちばかり、彼らも今宵ばかりはおしゃれをして楽しもうと集まってきている。公民館もレヴェイヨンのために飾られている。コレットはさっそく顔見知りの人を見つけてあいさつをしている。 ところでこのFête de Réveillonは予想に反して実に楽しかった!!! フォワグラなどのお食事をし用意されていた生のバンドが音楽を始めるとさっそく沢山の人が踊りだした。なんと言ってもかれらは年寄りなので音楽はほとんどフランスの曲、そのリズムに合わせてワルツ、タンゴ、チャチャチャ、ツイスト、ジルバ(フランスではロックという)と踊り分ける。しかも楽しそうに踊り狂うのである(chapeau脱帽 !)私たちはあっけにとられただただ見とれるばかりであった。その中でも頭の禿げた踊りの上手な男性がいて彼は実にうまく女性をリードしていた。こんなに踊り続けて疲れないのかしら?踊れない私たちはただ眺めているしかなかった。いろんな人がいる。ジダンに似ている人(みやちゃんがそう言っていた)、背の高いすました顔をして踊っている夫婦(そういえば彼らはワルツの時しか踊らない)、とっても元気な少し若い女性だけのグループ、でも何と禿げた男性の多いこと、真面目なアンドレもジュヌヴィエーヴも今宵ばかりは踊っている、コレットはといえば夫をおいていろんな男性と踊って楽しそうにしている。 踊る女たち その中に私たちの目にとまった一人のおしゃれなおばあちゃん(失礼)がいた。年頃は65歳は過ぎていると思われる。ショートカットをしてそれをソヴァージュ風にし、着ている洋服は胸の開いたトップにボレロふうの上着、そして今流行りのロングの広がる紫っぽい色を主とした柄入りのスカートを身につけ、かかとが高くて細い半ブーツを履いていた。若いのかな!と思わせるドレスアップをしてそれがとても似合っている、すてきな女性であった。「みやちゃん、来年は私もあのようなおしゃれをしたいわ」というと「いいよ」という夫の返事であった。 あつ、やっとかかったデイスコの曲、これは踊れるぞ!私たちも勢いずいて踊りだした。「みやちゃん、私たちもロックを習おうね」「そうしよう」 さあ、今年のRéveillonは私たちも踊り狂わなければ!!! 24時になり踊っていた私たちは「ボンナンネ、ボンナンネ」といいながらホッペにキスをし合い新年を迎えた。 Bonne Année(上) ギーの木(下) さて、踊りと同じように食事も朝方まで続き、デザートが出たのが3時頃、6時頃に最後のオニオンスープがでるということであったが疲れた私たちは4時頃に帰宅した。 そうそう、会場の入り口にギーの木(やどり木)が飾ってあった。フランスの習慣では(ほとんど失われてきているが)ギーの木の下であいさつ(チュ)をするとその年の繁栄、幸福を得られるという。もちろん、私たちもギーの木の下でキスをして会場を去った。 Bonne Année お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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