上生的幻想

2007/05/28(月)23:43

水陰(みずかげ) 上用  俵屋吉富   07/5/22

おたべやす  京都  和菓子編(698)

     薯蕷に観世水、もみじの焼き印で、水辺にしなだれるもみじの木陰の景色をあらわす。  水を思わせるブルーと、もみじのグリーンのぼかしが、涼しげな風情。  グリーンのぼかしに重なる焦げ色が、もみじの枝の微妙な色合いまでを再現しているのも、偶然なのか、職人の思惑なのか、なかなか面白い。    さらに、この姿。以前食べた水映えと同じ姿。  見ていると、自然に、水映えと響きあってくるのも面白い。    種は、さっぱり軽めの黒漉し餡で、全体として、あっさりとしていて、すがすがしい。  このすがすがしさは、餡や皮の風味そのものというより、姿と色と銘が醸し出しているのかも知れない。あるいは、響きあっている水映えがさらにすがすがしさを増しているのかも知れない。  餡があっさり軽めなのは、味覚上今頃の季節にあわせているとともに、銘、そして、この姿や色を最大限に引き立たせるためでもあるのだろう。    それにしても、いつものシャープな俵屋と違っている、と感じるのはどうしてだろう?  この上用の前に食べた、菖蒲きんとんのせいなのだろうか?   ***    観世水のこの姿。実は夏になると寒天でもよく見かける。  基本は同じ姿で、ういろう、上用、寒天・・・と素材を変え、出してくる季節を変え、銘を変え、少しずつ細工や風情を変える・・・ある意味、「経済的」で「合理的」。  基本は同じ姿なのに、素材、色、細工、季節、銘によって、今この時のために考え出されたように感じられるのは、王朝花傘のところで考察したとおり。このあたりも、上生菓子のおもしろさ、不思議さ。ただし、これは、姿、素材、色、細工、季節、銘がしっくりかみ合ったときに初めて実現されるおもしろさ。    春の水がういろうで、初夏の水が薯蕷、両方の写真を見比べていると、その素材の選び方にまで、なにかなるほどと思わせるものがあるような、そんな気がしてくる。まだ、どこか寒さを感じさせるういろうのくすんだ色合いの水と、ふんわり和らいだ、つややかな初夏の水。このあたりにも、実は、作り手(店に代々受け継がれてきた)の季節感や、この場合なら「水」に対する感性や思いが、無意識のレヴェルのものなのかも知れないが、表現されているといえるのかも知れない。    夏に寒天になるのは、涼を求める味覚と見た目の要求そのものだが、秋にはどうなるだろう?  秋にこの観世水の姿の上生菓子があるのかないのかまったく知らないので、ここからは(ここからも)僕の勝手な空想だが、こなしでこの観世水というのはどうだろう。色は、紅葉したもみじの赤一色。銘は、「もみじの錦」。清流に紅葉したもみじが散り敷いた風情。  銘は、百人一首の道真の「このたびは・・・」からとったけど、イメージ的には、業平の「ちはやぶる・・・」から(あるいは、春道列樹「山がはに・・・」)。  いやいや、「水映え」「水陰」とどちらも水がつくから、ここは「水錦」(みずのにしき)でどうだろう?  ちょっと、面白くない?

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