先週、こども落語大会があった。
2年前に落語を初めて、2か月ほどで初めて出場し、入賞~
去年は3位入賞~
今年は欲が出たのか、優勝したい~なんて大口をたたいていたせがれ。
8月にワッハでやったのと同じのでいいやん、と決めたものの、10分という時間制限
に合わせるために、ぶつぶつとあちこち話を切って短縮するが、なかなか枠に
おさまらない。
結局半分くらいの短さにまとめて、ギリギリ時間におさまるようにしてみたものの、
流れで覚えているので、言い間違いがあちこちに出てしまう結果に。
新しい流れに修正出来るほどに、練習もしないし、毎度のことながら
やきもきさせられるばかり。
勢いつけてやれば、面白くできるんだけど、間違わないようにと思いつつ
慎重にやると、全然面白くないし。落語って難しいもんだなぁ。
それでも、練習ではそこそこいい感じになってきたかなと思ったりしたけれど、
前の週にあった、サークルのおけいこでは、緊張もしたらしく、グダグダな出来だった。
もう少し前は緊張とかも分からないような心の幼さで、ばーっと勢いつけて
出来てたのに、心の成長とともに、余分なアクも身についてくるのよね。
で、いざ本番、とにかく勢いつけて出来たらと思ったけれど、
最初からあんまり声が出てなくて、従って勢いもなくて、なんとか間違えずには
やってて、途中でちょっと乗ってきたかな?と思ったところで、突然詰まってしまった。
「何やったっけ。。」とぼそっと呟いてから、我に返って、最後まではやりきったけれど。
今までは間違ってでも、流してやれてきたのが、思い切りぶった切ったね。
そのあとのインタビューでもしどろもどろだったし、やっちゃったねぇ^^;
中入りの時に、わたしと顔をわせるなり、手を合わせて「ごめんっ!失敗した!」
っておがむ、せがれ。
そう言って、なんとか、自分のショックをごまかしてるんだろうなって思った。
自分の事で、自分が失敗して、残念なのは自分なんだから、謝らなくていいよ。
としか言えなかった。
失敗した時点で覚悟してたんだろうけど、入賞を逃した結果を聞いて、
やはり、せがれはさらにショックを受けたみたいで。
終了後、わたしの母が、「でも上手だったよ!」とか父も「全然気にしなくていい!」とか
声かけして慰めてくれてたんだろうけど、言われるほどに、どんどんせがれの機嫌が
悪くなった。
一番ダメだったことは、本人がわかってるからなー
こういうときの慰めって、結構残酷。。
去年も出ていた子は、みんなこの1年で目覚ましい成長をしていたことを思えば
せがれの練習不足とか、それほど成長していない点は明らかだったし。
年齢に応じて求められるものは、どんどん高くなる。
逃避とか落ち込みとか、それぞれの気持ちはわかるけど、
もっと本質的なことに気付いてほしいなって思った。
正直子供が傷ついたり、落ち込んだりしてるのを見るのは、
自分が痛みを感じるよりも辛いってことを、味わわせてもらった。
親は、なるべく苦労させたくないし、成功させたいって、子供に対しての欲があるもんで。
でも、嫌なことから目をそらせばいいとか、何かのせいにしてごまかせばいいとか、
そんな人間になってほしくない。
人生ってそんな簡単なものじゃない。
今までの幸運な経験よりも、今回の失敗の方が、
断然、得難い人生の経験にはなってるはず。
生きてると、マイナスの経験が次々起こるけど、ひとつ乗り越えるたびに、
何かを学んで、強くなれるから。
辛い経験をした分、人の気持ちがわかる人間になれたり、
失敗を恐れず、失敗から学ぶ姿勢を身につける機会にもなる。
まぁそれは、またわたしの親としての欲でもあるんだけど、
子供の経験は、つまり親のわたしの経験でもあるのね。
子育てして学ばされることも多いなーとつくづく思う。
わたしなりに思ったことを伝えて、せがれも色々考えたらしく、
ちょっとは前向きになれたみたいで、また落語の練習も頑張るそうな。
わたしはせがれのサポーターだから、やりたいことはやればいいし、
やめると決めたら、それを支持するだけ。