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シプモが私によく言う言葉がある。
「てぐりょーは一人娘だから。 一人っ子はナバッケモッラ(私しか知らない→利己的、自分中心だ) 一人っ子はダメ。兄弟がいないと。」 「所詮他人は他人だ。結局頼れるのは家族、兄弟や親戚しかいない。友達だとか知りあいだとかはどんなに親しくても本当に困ったときは意味がない。」 これを言われるたびに、私はなんかすごく嫌な気分になっていた。 私には兄弟がいないし、親しい親戚もいない。 なので、自分を否定されたような気持ちになり、聞いている間もいつも笑顔は引きつりっぱなしだった。 でも今日ふと思った。 この「ナバッケモッラ」って、これ、オモニム、いやこの国の人々のことじゃない? これ「ナ(私)」を「ウリ(私たち)」に変えて、「ウリバッケモッラ」にしたら、ほら、これまさに韓国そのものじゃない! 「ウリ」の中では、お互い助け合って、礼儀もわきまえてやってる人たちが、ひとたび「ウリ」を離れると、人のことなどどうでもいいような行動をとる。 プモニムに対しては重い荷物をすすんで持ってあげたり、さっと玄関のドアを開けたりする人たちが、地下鉄内では人を押しのけ、降りる人を待たずにわれ先にと乗り込み、エレベーターでも後から乗ってくる人のために「開」ボタンを押す人はほとんどいない。 結婚で家柄、学歴、などの条件を以上に気にするのも、他人が「ウリ」に入る際、変なのが来ては困るからなんだと思う。 みんな「ウリ」以外はどうでもいいし、「ウリ」が最高でありたい。 この「ウリ」に入れない人たち、たとえば親や親戚がいない人、出稼ぎなどで来た外国人などはこの国でやっていくのがとても大変だと思う。 私はこの「ウリ」ってのがどうも好きになれない。 それより「遠くの親戚より近くの他人」とか「袖すりあうも他生の縁」って感じで、赤の他人とでも、一時的にでも、一人の人間としてきちんとした絆を結べる関係をつくっていきたいなと思う。 「ウリ(私たち)」よりも「ナ(私)」の部分をしっかり持っていたいと思うのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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