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躰道∞(無限) 

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2008年11月15日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
おいしいお茶のいれかたをNHKの番組「プロフェッショナル」で知った。
 それが熱湯だった場合、急須へ入れるお湯は薬缶やポットから直接入れるのではなく、何個か用意した茶碗に二、三回うつしかえてから急須へ注ぐのだという。
 約98℃の熱湯も湯呑から別の湯呑にうつすと10℃ほど冷め、三回うつしかえると約70℃になって、熱湯を注ぐと現れる渋み成分が温度を下げたことで甘み成分が姿を見せるとのことだった。
 試したら明らかに違う。
 
 姉が「だったらポットの設定初めから70℃にしていたら」と言った。
 私はその言葉に違和感を残したまま床に就いた。

 布団の中で、前に途中まで読んでなげだしていた小説のことをを思い出した。
 成人前の幼きころの石田光成と豊臣秀吉の初対面のシーン。
 光成は寺の小僧だった。
 秀吉が旅だったか、何だったか、体力が消耗し、ひどく喉が渇いていた。休憩のために腰をおろした寺の縁側で、秀吉は挨拶をかわした小僧に「茶をくれんか」といった。小僧は静かに返事をし、背中をむけた。
 剃りあがった頭で盆を持つ腕をのばした。秀吉はお茶をとった。
 口にしたお茶は思いのほかぬるかった。秀吉は思わず一気に飲み干した。のどに緊張をあたえず、お茶が自分で流れて行ったのだろう。
 秀吉は小僧の持つおぼんに湯呑をおいて、指を一本立てた。小僧はすぐに察したようすでにこりとした。
 一杯めより温かかった。しかし、一息で飲んでしまえる温かさだった。
 秀吉は心地がよくなり、膝を打つ気分でもう一杯と言って、今度は小僧の細く白い指に手渡した。
 茶が唇にふれる前にあきらかな温度の違いに気づいた。警戒にも似た緊張が秀吉にお茶をなめさせた。十分に咽は潤い、光成は口の中でで冷ますうちに味わいをもてなしたのだろう。
 
 気づかい、心づかい、もてなしの心というのは利益、みかえりを求めた、もしくは意にした瞬間に消えてしまうものなのではなかろうか。
 表情や姿から者の欲することを察し、何かを添える。

 火のない場でぬるい湯を熱くするは難しいが、熱いものは容易に穏やかにできる。
 強さを身につけ、心を鍛えれば、人によって必要な優しさを変化させて分けることができる。
 ただ弱ければ情けをかけて終わることが少なからずある。
 力はなくとも、知識、知恵をもってすれば己より人として大きい人間へも優しさを感じさせれれる。
 
 そういった人為を自然にできるのが癒しというものではなかろうか。

 私が姉の言葉にもった違和感はなんだったのであろうか。
 たった一度でも沸点に達した経験があるからぬるくもできる。やさしくもできる。水と合わせれば何倍かのぬるま湯も作れる。
 時には渋みがうま味より大事な時も生きていく中で必要なときもありそうだから、いざという時のためにも、熱湯から手間を惜しまず、もてなしを。






最終更新日  2008年11月16日 01時39分52秒
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2008年08月24日
カテゴリ:カテゴリ未分類
おひさしぶりです。 2008年08月24日
 無限を開くことも久々です。何通かのメッセージにもお応えできなくてすみませんでした。

 オリンピックをみて思ったことを書いてみたいとおもいます。
 私が習っている躰道でもそうです。なにが「そう」かと、言いますと、陸上の短距離で千分の一秒タイムを縮めることと突き蹴りの目標到達までの所要時間の類似についてです。
 体力を持て余してタイムを縮めてくる選手もいれば、個々の能力そのままにバトンの受け渡しで他の先をいこうと錬ること、特に一つの世界で長くやっていると成長の限界を超えた人間にとっては維持の中に作戦や研究によって進化するしかないと思いがちです。
 いっそのこと選択種目をかえてみてはいかがですか。
 考えが変われば~~~が変わり、~~~~がかわれば人生も変わる。
 常に切磋琢磨した状態もいいが、新しいことをふんで挫折をあじわうとか、わからないことをわからないと素直になれるのもそういった環境の中でこそ。
 食事のバランスも大事だが、人生、「緊張」「不安」「安心」「行動」「休息」のバランスもこの五つが刺激し合ってこそ排泄もスムーズになる。
 わたしの思い込みをひとつ言いきる。便秘の人、緊張することを忘れたひとではなかろうか。






最終更新日  2008年08月24日 23時21分14秒
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2007年12月01日
カテゴリ:カテゴリ未分類
まっ暗闇。
同じところを往復するころには廊下の輪郭もつかめている。さっきまでの手探りが微光をとらえ、足の速度は衰えるが認識はかすかに精度を持ち始める。
 なんとなくでしかなかった手探りに、よく見ることにより判断が生まれ引きずるようにしていた足に膝の伸縮が灯る。
 自信のない暗闇でジリジリと手足のない昆虫のように足の裏を進ませるが、廊下からホールへの曲がり角や閉められたドアのおぼろげな輪郭をつかむと、そこまでを無障害の道のりと決めてかかる。するとその付近まで変な緊張が消え、足を上げ人間の歩き方第二条第一項くらいまでを知識として持っているような勢いがでてくる。ただし左右のバランスは一定のものはなく、常にフラフラの状態だ。
 しかし、これら真夜中のトイレか、真夜中突然の空腹かによって行動した人間がクリアできたのは体にしみついた家の間取り情報があってこそなせるわざなのである。

 あるとき、ある娘の親の実家が石巻から離れた島だったことから少女にこんな恐怖をもたらした。
 自分が小学校低学年というと、あっさりと最近と言い答えてしまう。それを二十五年前というと、あら、という違和感がただよってきてしまう。あのころの怖さは今もリアルなものだし、その場所に行けばまだ同じ状況を体験できるのも、背中合わせの二十五年前だからなのだろう。
 そのころは離島といっても島で住人としている子供の姿をみるのは山でクマに出会う率よりそうとう高かった。こんな言い方になるのは今では自分を子供としてみないかぎり、まず見られないからだ。子どもがいる雰囲気がないのは道端にソーダアイスの包み紙や黒くすすけた夏らしい花火の形跡もない寂しさからだ。
 最近のような二十五年前、そのころ少女だった自分の顔を思い出して立ちすくんだ。

 島の子供はきまって面倒見がいい。町場から島へ遊びにくると、その近所や親せきの子供は決まってちょうどいいくらい歳のはなれたお兄さんお姉さんで、少女の話題にも楽しく合わせられるし、とけこめやすさを持っている。逆にあんまり歳の近いのがいると野良犬どうしがばったりであったときのように警戒し、背伸びするような主張を心の中でしてしまうのだ。だから友達になりずらい。
 少女は親の実家のすぐ裏の家に遊びに行くか、お墓を近道とする少し歳の近いお姉さんのところへ行くかが針金のように細く不安ななわばりだった。誰にひん曲げられかねない。
 裏の家だと、実家の勝手口の灯りとその家の外灯がわずかな帰り道を誘導してくれる。それでも焦ってしまうのは子供という性格がそうさせるのだ。実家と裏の一本線の中心に線を引いて十字をかくと一方は大木にかこまれたお墓がある。もう一方が不気味で、浜へ下りる道はかすかな風も不気味なざわめきにしてしまう細い笹が茂っている。どっちからもナマハゲが出現する確率は五十パーセント、勝手口でサンダルを脱ぐのをもたもたすると耳の軟骨が神経に逆なでされて後ろへ引っ張られる。しまいには足首をゾンビにつかまれたブロンズのロングヘアーの十七歳みたいに足をばたつかせサンダルを振り落とす。
 その姿をおばあさんが目を丸くして見ている。何もいわず菜箸でコンロの魚焼きをひっくりかえしている。網の下に敷いたアルミホイルが閉めた魚焼き機からはみだしている。
 わずか五、六メートルの距離でさえでさえこの怖さ。

 あるとき弟は裏の家へ。少女は少し離れたお姉さんのところへ。ということがあった。午前は弟も一緒に三人でそのお姉さんのところへ行って遊んだのだった。まだ小さい弟がお菓子を買いたいわがままにつきあって遠回りして行くことになった。
 ポテチの空袋を片手に虫取りをする弟が、一人でいることにすっかり飽きて、人形で遊ぶ少女とお姉さんのところにしゃがみこんだ。「おばあさんとこにもどりたい」少女はため息しながら目を細めるが、お姉さんは立ち上がって弟と手をつないだ。少女は今度は自分が一人ぼっちのような気がしてなかなか立ち上がれなかった。しつけのなっていない子犬に引っ張られる態勢のお姉さんは少女の名前を呼びウインクをした。自分は弟より上の立場にいることがエネルギーになった。
きた道と違う方向にお姉さんは歩きだした。
くるときの密集した家を縫うように歩いてきたのとは風景がまるでちがう。坂をのぼり、コンクリートの足場が山土と腐葉土にかわった。むき出しの木の根もある。
少女は自分の性別を認識する前の幼年期に帰った。一コマが薄ぼんやりと、しかししつこく蘇った。誰かもわからない背中にしがみついて、どこかの玄関をくぐるまで目を開けなかったあのシーン。
少女の足が止まった。いつのまにか弟はお姉さんに抱きかかえられている。
動かない少女に振り返るお姉さんと弟の背景には山づたいに断崖絶壁の道があった。
「怖い?」聞かれても正直にうん、と言えなかった少女は怖くないとも言わずお姉さんのふくらはぎに自分の膝をあてるようにしてついていった。道幅は畳一枚の半分しかない。木の根が動いているような錯覚と、偶然けとばした小石が崖下におちる。腐葉土が崖をおおって、その下には民家がある。その間にブロック塀があった。少女はもし落ちた時塀の向こう側に転がっていくかその手前の崖下に落ちるのかを考えていた。お姉さんの肘とわき腹の隙間から崖道の終点をのぞいた。残りわずかが恐ろしく遠い。少女は前のランナーを待つリレーの選手のような急かす足取りになっていた。
 通り過ぎてしまえば、あっという間だった。何度も振り返り、その道に憎しみさえわいてきた。
 心拍が安定してくると高い木の枝を見上げるゆとりがでてきた。おじいさんが眠るお墓だということがわかった。少女の頭の中に実家とお姉さんの家まで釣り針を立てたような形のルートが頭の中に描かれた。 
お墓まで来た。あと注意することといったら、やぶ蚊くらいなもので、ここまでくると家まですぐ目と鼻の先だ。
十一時という半端な時間に到着した。弟がテレビのチャンネルをまわすとタイミングよくヤッターマンが放送されていた。
アニメに氷漬けされた弟をおいてお姉さんは、うちでご飯を食べようか?ときいてきた。少女はおばあさんにことわり、野菜のお土産を持たせて了解した。
 お姉さんは自然にお墓のほうを向いた。少女は袋の中のじゃがいもを数えてみた。六個だった。ネギが三本。
 三回同じ野菜を勘定するうちにお墓をぬけて崖までついていた。
 さっきは気がつかなかったがこっち側からお姉さんの家にいくと崖道は下り坂だったのだった。
 もし、袋が破けてジャガイモが転げおちたら、そしてそれを追いかけたお姉さんが飛び降りたらどうしよう。気が遠くなってきた。
山際に引っ張られるように、忍者が身を潜め歩くように、それでもお姉さんが振り向いたときには肩を大きく動かして大丈夫さをアピールして崖を通りきった。二度目の慣れというやつだろうか。歩き始めると、頭の中から「もしも」が薄らいでいって、足もとの意外な固さや手すりの存在にあたる縦に落ちた山の壁から根っこの先がみえている。
いつのまにか「もしものときは」と考えていた。つかまるところがずいぶんある。
お姉さんのゆとりは、それをたくさん知っているからだろうか。
お土産の野菜をおばさんに渡すと「あら、あらあらー。ありがとうねー」とエプロンを叩くように手の水をきって袋の中をのぞいた。
お姉さんと二人でご飯を食べた。少女は大好物のウニをたべた。崖の記憶もこのときばかりは消えていた。

六時もすぎると薄暗くなった。お姉さんのおじいさんは目が豹のような丸で、目尻には、いつでも食うぞという気迫が感じられた。
そのおじいさんに「夕ごはんも食べていきなさい」といわれた。「オマエをとって食やしないから……」とは聞こえないが、外の夕日に闇がかかってくるのを見るとそんなふうに思えてしまった。
夕食にもウニがでてきた。アワビもでてきてご飯もおいしかった。
少女は「えあ、え?」とおかわりをどうかと聞かれて普通に「はい」と答えられないでしまった。

 そのはっきり返事ができないことが、少女を恐怖の世界に導いてしまった。
 送っていく?お姉さんの言葉だった。
「だいじょうぶ?」
「ん?あ、うん」ひきつった笑い顔の少女の手をお姉さんがにぎった。一瞬希望に満ちた。
 次ににぎったのは赤いプラスチックの懐中電灯だった。
「明日また遊ぼう」
 えへら。と顔で挨拶し、少女は山に向かって懐中電灯を照らした。
 振り返るとお姉さんの姿はなかった。家に戻っていた。とたんに懐中電灯の電池がもつかどうか不安になった。
 少女の中に、お姉さんの家に戻って送ってくれと頼む選択肢がなかった。
 民家をくぐって複雑な道のりを行く自信などない。
 残るのは目の前にたつ山。そしてその山づたいの崖の道だけだ。
 少女の踏みしめるコンクリートは子供の足を引く特殊な磁石のように足取りを妨害する。
 いつか、いつのまにか足の裏の感触に凹凸が強く懐中電灯の矛先が足元寄りになっていた。
 いよいよ。という感じは下から吹き上げる風と昼間は聞こえなかった波の音が耳鳴りのように少女にまとわりつく。
 少女は足を止めた。そして懐中電灯の光を遠くへ投げ飛ばす。崖道の奥、お墓の出入り口が薄ぼんやり見てとれる。
 投げた光をゆっくり手前まで引き寄せる。崖道があらわれ、その下のブロック塀が冷たそうに映る。
 少女の足もとに光が戻ったとき、少女はしゃがみこんで自分の膝を照らした。
 あの崖をわたること以外の方法を考えはじめた。
 昼の店に行った道を辿ろうか。
 少女はなんとなく崖下のブロック塀一点を見つめていた。無意識のうちに自分がお墓まで辿る方法をめぐらせていた。
 木の根にしがみつきながらゆっくり崖下まで降りる。そして塀と崖の隙間を歩いて、またつかむものをたよりに崖をよじ登れば怖い崖から逃れることができそう。
 しかし、それを行動しようと思うと崖と天秤にかけづらい。ありえない考えかただ。
 そのときだ。波の音以外に何かが聞こえる。猫かカラスか。少女は耳をふさぎたくなった。それでも、暗闇の中ではいやでも集中してしまう。
 足音。それと何か回るような、跳ねるような音だ。
 正面の崖からくる。少女は懐中電灯の明かりを下に向けたまま近づく物音を凝視した。
「サチコがー」
 おばあさんの声だった。
 泣いて寄っていきたかったけど、おばあさんは黒い影のままズンズン、ズンズンよってくるので懐中電灯を少しあげるくらいしかできなかった。
 おばあさんの両手は一輪の手押し車でふさがっていた。
「かりてきたのか」おばあさんはそう言うと懐中電灯をぶんどりお姉さんの家のほうへ消えていった。
真っ暗の中に一人ぼっちで耳鳴りが、ザーっとなって心の中では「あーっ」と叫んだ。
 おばあさんはすぐに戻ってきた。おばあさんの声以外に少女の頼るものはなかった。
 おばあさんは早く乗れといった。
暗闇の中、タイヤが一つしかない揺れる緑色の鉄の中にカメがひっくりかえった状態のままタイヤは動き出した。
 おばあさんは孫を荷車にのせたまま歩きだした。少女は弾む箱の中で強く眼を閉じた。この真っ暗闇にどうやって。鋭く集中した少女の感が崖道の断面を通る二人の姿を想像させた。もう眼を閉じていても開けていても同じに思え、眼をあけた。
 この速度。間違いなくおばあさんは崖を走っている。






最終更新日  2007年12月01日 17時00分58秒
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2007年10月30日
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パソコン購入!(10回ローン。ただ、ビスタにかわったこともあり、ネットがまだつながらない状態。まんず、しゃます。






最終更新日  2007年10月30日 07時00分45秒
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2007年10月10日
カテゴリ:カテゴリ未分類
ポテチを一袋あけて、カスまで食べる。しばらくして、ものたりなさを感じる。舌が何かに触れる。歯の間に残ったポテチに幸せを感じた。一流モデルがこんなことを思う。






最終更新日  2007年10月12日 07時07分59秒
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溶岩にゴミをぶちこんで処理代を稼ぐ。ぼろもうけ。






最終更新日  2007年10月10日 16時41分23秒
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シートベルト、しめ忘れで自首。






最終更新日  2007年10月10日 16時35分11秒
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人はいないが、留守や定休日の雰囲気ではなかった。二人は入口のすぐ近くの席で薄暗い天井をあおいでいた。いつのまにか水、前菜が運ばれていた。
テーブル中央にフォークとレンゲが二人ぶん立ててある。ヒラメキに似た衝撃は食べ終わるころに衝撃にかわっていた。天井の暗さに目がなれてきて、むきだしの梁は太くて黒い。そこに用心深いネズミが頭を出したとしても、虫食いだらけのサラダを完食したあとならそいつもリスに思えるにちがいない。二人は視界に白みがかったものを感じた。湯気だった。長丸の白い皿には店の照明に似たスープとそれに光沢をつけられたご飯が丼を引っくり返したように半円をつくっていた。二人で顔を見合わせているうちにご飯のかたまりは濃厚なバニラアイスが溶けるように皿になじんでいった。二人はゆずりあうことなく中央のグラスに立ててあるレンゲをぬいた。鶏肉の雑炊だった。スープに見えるのはおそらく脂だろう。火傷を覚悟しなければ、すくってそのまま飲むことなどとてもできない。ご飯なら何度も吹いて口の中の唾液で冷ましながら転がせばなんとかのどを通せた。舌がなれてきたころ、ようやく旨さに気づく。脂にとろみがでてきた。固まってきたのだろう。あともう一口とい
うところでレンゲは皿だけをなでる。もう一口が恋しくて隣の皿に横目を流す。偶然にもその視線は交差していた。苦笑した。信号機そのままの青、黄、赤のゼリーが個皿三枚にそれぞれのっていた。青は水の味がした。口の中の脂がどこかへいってしまった。黄色はパインだった。味が濃く頬の内側がヒリヒリしてきた。赤を持つとその手が震えた。青と黄色と違うのは透きとおっていないことだ。血の固まりのように黒くさえ感じられる。勇気を必要とした。一口ではいけないにしてもスプーンで少しなら。二人は中央のグラスに助けを求めた。気のきいたデザートようのスプーンなどなく、グラスには円柱に丸めた紙が縁の幅一杯に広がっていた。グラスを寄せると底には小銭がいくらかあった。 紙には満足した以下の値段があった。もともと少ない中身だったが、これは支払えたはず。紙をよくみると領収書とあった。グラスの小銭と消えた財布の中身を計算するとしっくりくるのが逆に恐ろしい。突然鼻血が逆流してきたような感じに口の中に何かが溢れる。ザラザラしたような
何かが。赤いゼリーは何かで削られたみたいにえぐれている。 二人は玄関の鍵穴の向こうに外の灯りをみつけ、まばたきをするごとに減る赤いゼリーと反比例する口の中に危険を感じて荷物を持って立ち上がった。






最終更新日  2007年10月10日 16時09分25秒
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2007年10月05日
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【あたたかい】【涼しい】の違いは個人の体感温度によってかわる。日影では長袖が必要。日向では帽子さえあれば眠くなるような陽気だが、時間がたつと汗が出るわけではないにしろ日影にうつりたくなる。昼をまわったころか木の枝を揺らすのも微かな風が吹いてくると海水に淡水が流れ込むのに似た心地よさがある。釣り好きにしかわからない喩えになってしまったが、どちらの域に通ずる生き物がやってくる。人間も同じに思う。極めようと思えば超のつく海水域。喉越しに全くざわめきのない純粋水。しかし、それは登山とダイビングで互いに背をむける。水面かスレスレか。そんなところに人はよる。日向にそよ風。






最終更新日  2007年10月05日 12時48分22秒
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2007年07月17日
カテゴリ:カテゴリ未分類
iekoホームセンターで買ったイエコの孫。
 ヨーロッパイエコオロギの幼生。おそらくだが、生後当日から四日五日内といったところか。昨年秋に生まれたイエコの子。やはり子はかわいくてしかたがない。ただ、ウォータードラゴンが死んでしまってショック。餌のはずのコオロギがただいまペットとして生活している状態だ。うちのコオロギはそろそろ10ヶ月近く生きている計算になる。まだ二十匹を超えたくらいの生体数を確認したが、前の孵化では200~400匹はいただろう。いまだに成虫が100匹は生存しているだろうから。






最終更新日  2007年07月17日 20時13分09秒
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