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辻  雲仙画伯の作品紹介

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辻 雲仙(辻 善富)




第1回
塩山市中央公民館歴史民俗資料室 第40回企画展
再発見!埋もれていた佳画
=郷土画家の名作展=
〈シリーズ2  辻 雲仙〉
会期 平成7年12月12日~平成8年1月17日(終了)
主催 塩山市中央公民館
協力 塩山市公民館運営審議会
お礼 上記開催の展示に付きましては
貴家の貴重な所蔵品を拝借し、好評の
内に終了する事ができました。
 おかげをもちまして、県内外からの
来館者も多く 、新聞(1月17日山梨日
日新聞やラジオ17日午前10 時40分
NHK甲府放送局)等にも詳細に紹介さ
れ、近年にない大きな反響を得る事が
できました。
 このことは、ひとえに貴家の市民文
化・教 養の発展を願うお気持ちの賜物
と、熱く感謝を申し上げる次第です。
 今後とも、公民館活動にご理解を頂
くと共に、高所からのご指導をお願い
もうし上げまして、本展示のお礼の挨
拶と致します。有難うございました。 
   平成8年1月18日
   展示協力各位    塩山市教育委員会
             塩山市中央公民館

第2回
甲州市民文化会館
歴史民俗資料室 企画展・特別展
再発見!埋もれていた佳画
=郷土画家の名作展=
辻 雲仙
会期 平成27年1月6日~平成27年1月27日(終了)
協力 甲州市中央公民館
お礼 平成27年1月日6から1月27日迄開催 
   第2回目 無事終了お越し頂きました
   皆さん、有難うございました。

  ※第3回も是非開催したいと考えております。
  今後ともご理解、ご協力をお願い致します。
  
◎祖父 辻 雲仙作  百体観音像捜索中

第2回 甲州市中央公民館展示会場画像☟





































山梨県甲州市勝沼 正宗寺 羅漢図 寄せ書き


  • 観音像 大1.jpg




































2010年05月23日
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辻 雲仙は、父武一郎・母らくの長男として、明治20年11月1日に大藤村に生まれました。
本名辻 善富(つじ よしとみ) 幼少の頃から画を好み、技術を磨いたと思われます。
そこには、同人とは思えないほどの技量でえがかれいる作品が多く見られ、非凡さを伺い知ることが出来ます。
尋常小学校を卒業後、十代半ばで本格的に画の勉強をする為上京しました。
都会での生活は苦しく、路上に描いた絵などにより、僅かな収入を得ていたと聞いております。また養蚕の収入の中から精一杯の仕送りを続けた母らくの努力も、忘れてはならない親子愛として胸熱く伝えられています。
明治40年頃、生家の事情により、通っていた東京の美術学校をやめて帰郷。その後、十年以上主として家業の農家に従事しており、この間の作品は極めて少ししか残されておりません。
大正12年から恵林寺の寶嶽(ほうがく)老師(元鎌倉円覚寺館長)と交友を深め、3年間にわたって同寺に逗留し、創作三昧の生活を送っておりました。
この間に、傑出した作品群となった観音図百体を描いています。
画の師匠は、甲州市勝沼町岩崎の上野一雲と言われており雅号にそのつながりを見る事ができます。山梨県峡東地方の文化人の一員として活躍する傍ら、昭和4年には大藤村の三枝富重村長の助役を歴任、さらに昭和15年頃には三ケ村恩賜林組合の組合長をつとめ、治山治水対策にも貢献しました。
画の才能は周囲が早くから認ておりましたが、書についても多くの秀作を残しております。独学で漢文等の習得に努め、華道教師の資格を取得し、里仁学校の教授もしていました。
全ての事に対して日々努力の人との人物評が口伝されています。
晩年になってからも、画力は衰えることなく、活発な創作活動を行っていたが、昭和39年3月29日脳溢血で倒れ、家族に見守れる中、77歳で没しました。
甲州市塩山にも素晴らしい画家がおりましたので、少しずつご紹介をしたいと思います。






最終更新日  2014年06月29日 18時26分39秒
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