カテゴリ:心理学のお勉強
昨日の「どんよりの正体は、怒りなのでした」に題名をかけている太陽仮面です。
さて、今朝はこれからの不安がつのるあまり、5時半くらいに目がさめたのに起きると一日が始まってしまうのが怖くて、6時まで毛布にくるまって横になっていました。 で、起きても気が気でなく、着替えて出発するまでジェラルド・ジャンポルスキーの「愛と怖れ」をずっと読んでいたのですが…。 小熊が家を出る時間になって、私も一人で家にいるのが怖くて小熊と共に駅に向かうことになりました。 駅に向かう車中でずっと、今日からの不安と仕事への不満をぶつぶつとぼやいていたら…。 小熊は言ったのですね。 「しんどいよなぁ、おれも仕事のプレッシャーがあるけど、共に頑張ろう」と。 で、駅で小熊を降ろして一人で職場に向かう時、また不安が大きくなったんですわ。 それでも小熊も頑張っていると思い、自分も一人でいる時くらいは自分で頑張ろうと、ふと、不安の正体をイメージしてみたのです。 目の前に黒い影のような巨人がイメージされてきたのですが、さらにその巨人を見つめていたら…。 巨人の姿が消えて、何もなくなりました。 ま~心理学では散々勉強してきたのだけど、その時初めて実感したんですわ、「自分を暗闇に引きずり込む『エゴの声』は、実は実態のない『影』なのだ」と。 それからも仕事している最中に時折「アンタなんて何やってもうまくいくはずない」とか、「アンタが引き寄せる人はアンタを責め立てる人」とか、エゴの声がい~っぱい私を襲ってきましたが、それをなだめていると…。 あら不思議不思議、今までやりたくなかった仕事が少しずつながら片付くようになり、そして自分からいろいろと人にアクションをかけたら、実は自分と力を合わせて仕事をしてくれる、力を合わせて仕事をしたい人が次々と現れたのですね。 というわけで、「使いたい機械が動かない」とか「今まで面倒だったことをやる」とかも何だか楽しくなっちゃいました。 もっともこの幸せを維持する、いや発展させるためには、まだほんのちょっとの訓練を続けることが必要ですが…。 それと今日私が心の底まで実感したもう一つのこと。 「不安を丸ごと受け止めてくれる人の存在は、人を強くする」ということ。 私にとってはもちろん小熊のことで、出会った時から忙しい人だったのに私の不安をずっとずっと受け止めてくれました。 思えば出会った頃に比べたら、自分でもずいぶん強くさせてもらったもんだと最近何があっても立ち直って向き合えるようになって実感し、小熊には感謝するばかりです。 そういや辛さを受け止めてくれる人の存在の大きさといえば、むかぁし年の離れた末っ子の従兄弟が小さい頃、周りが笑うのもものともせず、恥も外聞もなく何かあったらママ(私の叔母)に抱きついてママの方もその子をよしよししてたっけ。 そんなもの自分の親にはしたこともないし物心ついてから親にも抱いてもらえなかった私は、その光景を見て当時すでに二十歳過ぎたいい大人でありながら羨ましかったのですが、今思えば彼はそうすることによって強さを手に入れていたような気がします(彼は今は立派な青年です)。 まぁあまりにももたれかかりすぎは小熊が死ぬのでほどほどにですが、小さい頃ばかりではなく大人になってからの親しい人とのハグで、まだ私の中に残っているであろうエゴをどんどん消してゆきたいと思った太陽仮面なのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年10月19日 22時04分12秒
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