人権教材としての福田村事件
皆さーん、おはようございまーす^^ 今日は暑くなるとのことでしたが、風があるので救われます。ちょぴっと楽です^^私は横浜市立大学で哲学を教えていた(当時)石川先生のお話を聞いて感動したことがあります。無自覚の中に潜む“差別”..みたいなことを自戒を込めて話しておられました。誰の心の中にもあるかもしれない“差別意識”.. それが時として心の中から飛び出し、外界に向けて発せられた時に『人権侵害』を犯してしまうことがあるのでしょうか。『差別』という名の人権侵害とは、どんなことなのだろう..最近知った事件に『福田村事件』というのがあります。東京大震災(1923年【大正12年】9月1日)直後の混乱の中で飛び交った流言飛語は凄かった。 直後には巨大地震再来や大津波襲来、富士山大噴火の噂などだったが、その後は、刑務所から抜け出した受刑者たちが暴動を起こすとか、当時『赤』と呼ばれていた社会主義者たちの暴動とか、様々な流言飛語が飛び交ったという。その中でも流言飛語として最も大きかったのが、日本社会で虐げられてきた朝鮮人が、震災をチャンスに日本人に対する逆襲を行うと言う噂だったという。(引用始まり)1923(大正12)年9月1日、関東地方南部を中心に大地震が発生しました。いわゆる関東大震災です。東京、神奈川、千葉等関東地方各地で、地震による火災も加わり大きな被害が出ました。なかでも東京は、3日未明まで燃え続き、全市の3分の2が消失、横浜では全市街がほとんど消滅ないし全半壊し、この大震災による被害は、死者・行方不明者143,000人、負傷者14,000人、羅災者(りさいしゃ)数約340万人といわれています。このように、関東大震災は日本の歴史上きわめて特筆すべき大災害(天災)でありました。同時にこの大災害時に、日本の歴史上忘れてはならない6600人以上といわれる朝鮮人、700人以上といわれる中国人に対する大虐殺と、日本人社会主義者等への殺害事件がありました。さらに震災時の混乱のなか、日本人も殺害されるという事件も各地で多発しました。事実無根の流言蜚語(りゅうげんひご)を信じて組織された自警団の民衆や、軍隊、警察が言語に絶する大量殺戮(さつりく)行為を行ったという歴史的事実は、まさに人災でありました。(引用終り) http://www.jinken-net.com/old/gozonji/2003/go_0308.html よりそんな状況の中で『福田村事件』は起きるのです。(引用始まり)舞台は、千葉県東葛飾郡福田村(現野田市)。香川からの売薬行商の一団が地元民に襲われ、女性、子供を含む五家族十五人のうち九人が惨殺された。今なら香川側でも大騒ぎになる事件だが、歴史のやみに沈む。「福田村事件」だ。...残暑が厳しい日だった。荷車に薬や日用品を積み幼児を乗せた一行が、福田村三ツ堀の利根川の渡し場に近い香取神社に着いたのは、午前十時ごろ。...「言葉が変」「朝鮮人じゃないか」。半鐘が鳴る。生存者の証言によると、駐在所の巡査を先頭に、自警団が「ウンカのごとく」集まったという。「どこから来た」。一行は抗弁する。「四国から」「日本人じゃ」。言い訳するほど「聞き慣れぬ言葉」に不審が募る。巡査が本署の指示を仰ぎに場を離れたのが悲劇の始まりだった。..事件は凄惨(せいさん)を極めた。自警団のとび口が団長の頭に飛び、川に逃れ赤子を抱き上げて命ごいをする母親を竹やりが襲う。泳いで逃げる者は、船で追われ、日本刀で切られた。発砲もあったという。殺されたのは、二十歳代の夫婦二組と二歳から六歳までの子供三人、そして二十四歳と十八歳の青年の計九人。母親の一人は妊婦。「死者は十人」とする研究者もいる。近辺で続発した虐殺の中でも、最も悲惨な事件となった。...8人が殺人罪で逮捕され、3年から10年の懲役刑となる。 が、大正天皇の崩御、昭和天皇の即位に伴う恩赦で、全員、間もなく釈放される。背景には、彼らを保護する時代の空気があった。取り調べの検事は「彼らに悪意はない。ごく軽い刑を求めたい」と新聞に語り、村は弁護料を村費で負担。 村民は義援金を集めたり、農作業を手伝うなどして留守家族を助けた。犯人は村の「代表」の扱いだった。事実、中心人物の一人は、出所後、村長になり、合併後は市議も務めたという。(引用終り) (シリーズ追跡:福田村事件 四国新聞) http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/098/ この事件の怖さは、関東軍が行った事ではなく一般の住民が行った惨殺である点です。地元の住民が組織した自警団や消防団が行った惨殺行為である点を、私は注目します『なぜ一行は、香川の被差別部落から遠く離れた関東地方にまで行ったのでしょうか。乳飲み子を連れ、家族挙げて行商に出かけた背景には、大正時代の厳しい部落差別が潜んでいます。差別の中で自立をめざした部落の人の多くが行商に従事しました。行商は香川の部落産業でした。二つ目は行商への偏見についてです。当時の防犯ポスターには、「あやしい行商人」をみたら警察へ連絡せよと書くなど、行商を軽蔑する見方がありますが、果たしてそうでしょうか。売薬行商人は医者や薬屋もない山深い寒村にまで薬を届け、へき地の人たちから喜ばれていました。三つ目は朝鮮人差別の問題です。1910年の日韓併合で朝鮮が日本の植民地になって以来、朝鮮人に対する民族差別は急速に強まりました。これがデマの背景です。このように、福田村事件の背景には、今なお真剣に取り組まなければいけない人権問題が複雑にからみ合っています。』http://www3.ocn.ne.jp/~jinken/museum/fukudamura/fukudamura.html より朝鮮人など他民族にたいする差別、部落差別、行商人への職業差別、“よそもの”に対する(地域的)差別などが、複合的に重なって起きた事件であることが分かるだろう。差別というと日本人は『(白人から黒人への)人種差別』くらいしか思い浮かべられないでしょうが、今なお、私達の中に無自覚に流れている『差別』があることに気が付きませんか?? 歴史の闇に追いやられた上に、遺骨も墓もないという『福田村事件』の被害者たち..加害者以外の人たちもまた『差別』の中で事件を処理してしまったのかも知れない..無自覚に行われる『差別』の奥深さを、常に心の中に留めておかなければならないと私も思いました。 **************************************世界人権宣言1948年12月10日、国際連合は、世界人権宣言を採択して宣言した。これは、国際社会に於ける人権の基本原則を定義しており、加盟国に対して人権の基準の雛形を提示している。強制力は無いが無視できない宣言である。外務省の「世界人権宣言」(仮訳文)より第 5条 何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰 を受けることはない。 第29条 すべて人は、その人格の自由かつ完全な発展がその中にあってのみ可能で ある社会に対して義務を負う。 すべて人は、自己の権利及び自由を行使するに当っては、他人の権利及び 自由の正当な承認及び尊重を保障すること並びに民主的社会における道徳、 公の秩序及び一般の福祉の正当な要求を満たすことをもっぱら目的として 法律によって定められた制限にのみ服する。 これらの権利及び自由は、いかなる場合にも、国際連合の目的及び原則に 反して行使してはならない基本的人権:基本的人権(きほんてきじんけん)とは、人間が、一人の人間として人生をおくり、他者とのかかわりをとりむすぶにあたって、決して犯してはならないとされる人権のことである。すべての人間が生まれながらにして持つ。基本的人権は、生命、財産、名誉の尊重といったような個別的具体的な権利の保障へと展開することが多い。このため体系化されているさまざまな権利を総称して「基本的人権」と言うこともある。***************************************私たちが侵してしまう無自覚な『差別』行為.. 気が付いていない人が多いです。そのような『差別』が、相手の人権を侵していることに、早く気が付いて欲しいです。自分の人権を守る事は、実は相手の人権を守る事で生まれるのですよね^^今日の文は、加害者と加害地域の非難をするつもりで書いたのではありません。差別(人権侵害)が生み出す究極の事件を紹介して、私達の戒めにしたいと考えたからです。ギラギラ太陽は出ていないようですね^^ 少しは過ごし易くなるかな??今日も元気で ファイト!!