日本人は青野菜の植物繊維で腸の森林浴を…日本人は青野菜の植物繊維で腸の森林浴を…ホームへ⇔「健康第一」へ 良い野菜は、豊かな農土と良質の肥料と豊富な水で育つ。 農土と肥料、そして豊富な水はどのようにして生まれたのだろうか? ここに一つの歴史が記されている。 【日本各地で開拓に腕をふるって、農土の神様といわれた 小比古尼命(すくなひこのみこと)と 大汝命(おおむちのみこと)の二人が、 新しい地を開拓するために歩いている途中、 大汝命が急に「便意」を催した。 しかし、一人遅れるのをいやがった大汝命が 重い埴(はに:赤土)を担いでいた連れの小比古尼命に、 『わたしは、「雲古(unko)」を我慢するから、 君はどこまで重い荷物を担いだまま耐えられるか、比べよう』 とガマン比べを始めた。 大汝命は 小比古尼命は桶に埴(はに:赤土)をいっぱい詰めて重いのを我慢して担いで歩いていた。 数日のちに、大汝命が「もうがまんならぬ」と その場にしゃがみ込んで 大汝命が はじいた、はじいた、と言ったその地を「はじかの里」と呼ぶようになった。 小比古尼命も、「わたしもご同様に、がまんがならぬ」と、 桶の埴(はに:赤土)を放り投げると、岡のようになった。 その地は「はにおかの里」と呼ぶようになった。 こうして「はじかの里」、「はにおかの里」と呼ばれる肥沃な農地が出来上がった。 そして、神々の足跡には、水が溜まり、農地に必要なため池が出来上がった。 こうして、人々が耕作するのにあまりある肥妖な農土とため池が出来た。】 (播磨国風土記より) 他にもこれによく似た話がたくさん出てくる。 穀物に適した土と肥料を神々からもらった話である。 そして、神々の足跡が、ため池である。 ※ ※ ※ 菜翁が旨さんが子供の頃はまだ、牛馬の力で田畑を耕していた。 その牛馬や鶏などの家畜の 田植えの前の、田面を平にして苗の活着をよくするため 踏んだのは、 もちろん、にょろにょろ動く「泥どじょう」を踏むことも、しばしばあった。 まだ「あひる」と「かも」をかけ合わせて生まれた「かるがも」のいない時代で「あひる」を使って除草・防虫をしている農家もまれにあった。 ※ ※ ※ この時代には、野菜は、必ず火を通して食べていた。 つまり、茹でるか煮るかして、食べていた。 衛生上の理由もあって、絶対に生のままでは食べなかった。 茹でることで、消毒するだけでなく、農薬を湯出しすることも出来る。 その上、野菜のかさが減り、柔らかくなるので、生の野菜より、沢山そして早く食べることが出来る。 どんなに食文化が進化しても、欧米人より長い腸をもつ日本人の野菜の食べ方は、腸の長さが欧米化するまでは、変えないほうがよさそうである。 (欧米人の腸の長さの平均は5m、日本人はそれよりさらに1mほど長い。) 便秘を解消するだけでなく、「第二の脳」とも呼ばれている腸の内部環境を整え、自律神経のバランス(交感神経と副交感神経の働き)を整えて、心身の健康を保持するためにも… 「青野菜の植物繊維は、腸の森林浴」と、いえそうですね。 ※ ※ ※ 現存する出雲・常陸・播磨・豊後・肥前の日本最古の地誌五誌のなかでも、播磨国風土記は、古老からの聞き取りを記録している点で、他の風土記とは大きく異なっているそうです。
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