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愈々庵気まぐれ日記

初渡航

初渡航

1964年8月憧れの渡米、
羽田空港からシアトルーシカゴーボストンへと飛び立った。

この年は10月に新幹線とオリンピックがあり、
観光旅行が許可された年でもあった。

とはいっても1ドル360円(占領下貿易など無く、
円レートはいくらでもよかった。GHQが円(丸)は360度なので
360円にしたとのうわさあり)の時代、新卒の月給が2万円台の時,
この運賃は約50万円で、今の感覚で言えば500万円くらいだろうか。
自由旅行などありえない時代であった。

私は高校時代から海外旅行に憧れていたので遠大な計画を立て、
アメリカの財団からの奨学資金を受けて留学しようと考えた。
レコードで英会話を習い、努力もしたが運良く、
もぐりこむことが出来たのだ。

羽田が日本で唯一つの国際空港で、滑走路一本、搭乗ゲートも一つ、
預け入れ手荷物も重量制限が厳しいので乗客は8月でもコートを着て,
ポケット一杯に重い荷物を詰め込み搭乗した。

搭乗口は一本だけで滑走路に向かって飛び出していたので
フィンガーと呼ばれていた。その2階屋上は見送り人であふれ、
その目前でタラップを上っていった。
機内に入っても見送り人の顔がはっきり見え、
窓側の人は見送り人からも識別できた。
私は飛び立つまで新妻の姿を追っていた。

機内では何人かいる日本人ステュワーデスが振袖姿であいさつ回りだ。
ちなみに2年後に乗った日航では最初全員振袖姿だったし、
日付け変更線では機長が今通過していることをアナウンスし、
機長がサインした立派な英文の日付け変更線通過証明書を配布していた。
ちなみに当時ある日本人ステュワーデスが書いた本に、

赤道は赤いのでしょうけれども、変更線は何色ですかと問われて
面食らったことが記されていた。

シアトルの空港では初めて1ドル紙幣を使った。
これは戦前日本人移民としてニューヨークに滞在していた叔父から
餞別にもらった物で、今から思うと骨董価値のあったものらしく、
周りの店員が数人集まって眺め入っていたのを思い出す。

これが私のブログの書き出しである。
時々つれずれに書くこととしよう。


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