愈々庵気まぐれ日記

2007/07/15(日)15:24

アイリッシュダンス

都内散歩(286)

アイリッシュダンス昨日妻に誘われて東京フォラムへアイリッシュダンスを見に行った。    ケルト語で歌われる歌の意味は分からないが、哀愁は十分伝わってくる。恋人の死を悼む歌の背景には緑の野に崩れかかった石のチャペル、ケルト模様を頭部に持つ苔むした墓石が映し出される。40年以上前に一度だけ旅したアイルランドでカナダ在住友人の年老いた両親を訪ねたことがある。子供たちは皆アメリカ、カナダ、ヨーロッパに散り、緑の大地に生きる老夫婦は息子の友人だと告げると突然の訪問者であるを東洋人を温かく迎えてくれた。このときはダブリンにたった一組だけ住んでいた日本人家族を訪ねての旅であったが、アイルランド人の友人には両親にぜひ会って近況を伝えて欲しいとの依頼を受けていたのである。私は3年間ボストンに住んでいたが国際電話は長男が生まれたときに一度出来ただけであった。そんな時代である。そんなことを思い出しながらじっとアイルランドの古歌に聞き入っていた。一方ダンスは華麗と言うよりは躍動感に満ち溢れている。と言ってもそれは下半身の話、上半身は全く動かない。大ホールに響き渡るキックの音はすさまじいまでに早くリズミカルである。5人の伴奏はバグパイプ、フルート、ドラム、バイオリン、アコーディオン、キイボード、ギターでそれぞれが芸達者、全身を使っての演奏だ。曲の合間に床に置いた1リッターのボトルから直接水を飲みながらの演奏だ。昔西部劇で見た皮ズボンのカウボーイがバンジョで手を叩きながら踊るあの音楽に似ていた。そこで私なりの推論。よく知られているように初期のピューリタン移民についで西部開拓時代のアメリカ農業移民はアイルランドやスコットランドの次男三男が多かったことは良く知られている。今回のアイリッシュ楽団はアラン諸島から来ているらしいが、かってアメリカ西部(東海岸以外は皆西部)のカウボーイたちが故郷の音楽をウエスターン音楽に発展させ、故郷の踊りをタップダンスに発展させたのではないだろうか。真偽のほどは分からない、調べた結果でもない。音楽会の途中からふとそんなことを考えながら楽しませてもらった。珈琲一杯飲む間、外は台風前兆の大雨であったがホールの地下から地下鉄1本で雨に濡れることも無く、我住まいの隣までたどり着いた。やけに都会的な雨の休日の過ごし方であった。   

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