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愈々庵気まぐれ日記

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2012.06.20
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Mt. McKinley(6194m)

18日の朝刊によるとアラスカのMcKinlleyで宮城県の 4人の登山家が雪崩で

遭難し、50歳から64歳までの男女4人が遭難し、69歳の男性1人が自力で

下山したそうだ。5人は山岳会に属し、登山経験豊かなメンバーだと云う。

マッキンレ―山は6194mの南北アメリカ大陸の最高峰で、日本人には今も

氷河の下に眠る植村直己の名とともに忘れがたい名前の名山である。

マッキンレ―より2700mも高いエベレスト山でも麓のチベット高原からの

標高差が3700mなのに対してマッキンレ―は麓の平地からの標高差は

5500mもある。地理学的にもエベレストが沖縄とほぼ同じ緯度に対して

マッキンレ―は北緯62度付近で北極圏に近く、最初の登山隊の持参した

温度計は頂上よりかなり下で最低ー73℃を記録している。また極地近傍とて

酸素濃度は薄くますます登頂を困難にしている(酸素分子の磁気の性だろう)。

今回遭難したパーティーのリーダーは毎年ヒマラヤに出かけ、マッキンレ―も

2度目だそうである。計画に無理は無かったと云う。この季節h夏至前でここ

では白夜だったと云い、雪が締まる夜間の行動だったのだろう。日中の午後は

気温が上昇し雪が緩むために雪崩が起きやすい。雪崩に巻き込まれたのは

午前2時過ぎだったと言う。5人はザイルで結びあいリーダーが最後に橇を

結んで登頂を断念し、降りていた時後方上部から雪崩が襲ってきて一瞬の

うちに流 されて全員クレバスに転落したそうだ。その時、橇がクレバスの割れ目

に懸りリーダーだけは底までは落下しなかった。そこからピッケルを使って

氷河クレバスの氷壁を登っ たそうだ。新聞記事を読むだけでもそれはもう

映画の世界である。全員がこれから何百何千年も氷に閉じ込められてしまう

より最後の状況を知りえただけでも遺族にとっては救いだろう。
 

1995年夏2週間ほどかけてAlaskaをドライブ旅行した際Denali国立公園に

数日滞在しMt.McKinleyにほど近いところまで接近したことがある。

P1000409

その際求めたパンフレットの写真を2,3ここに転載する。

Park入口への途中回り道してタルキートナと言う人口千人位の村にある

P1000410

”Latitude62” と言う名のレストラン・ホテルに立ちよった。ここは植村直己の

定宿で亡くなる時の厳冬期の単独登攀もここから出発している。レストランの

横に展示コーナーがあり、数々の展示品の中に植村のそれもあった。

Latitude62は北緯62度上のホテルの意で、現在の登山隊はこの地から

セスナで約2300mの登山基地に向かいそこから登山を開始すると言う。

多分今回遭難した人達もここから出発したのだろう。夏の間はここから

McKinleyへの遊覧飛行が有って手軽にその雄姿にたっぷり酔うことが出来る。

タルキートナからだと長いアラスカ山脈の横腹からすいとマッキンレーに近ずく

ので遊覧飛行そのものは別のルートでDenali Parkの村からのものが良い。

切り立ったナイフリッジの峰、延々と続く氷河、紅葉のツンドラなどを眼下に

見ながらの飛行が断然いい。私は幸い小さなセスナ遊覧をゲット出来、雲上の

McKinleyの峰を堪能することが出来た。一般車乗り入れ禁止で公園運営の

バスで早朝出発・夜遅く帰還のツアーで大型ヒグマなど多くの動物たちを追い

ながら地上の景色も堪能することも出来た。

 P1000408






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Last updated  2012.06.20 09:04:40
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