1097516 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

愈々庵気まぐれ日記

愈々庵気まぐれ日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Category

Archives

2024.04
2024.03
2024.02
2024.01
2023.12
2023.11
2023.10
2023.09
2023.08

Recent Posts

Freepage List

Calendar

2016.10.27
XML
テーマ:国内旅行(1393)
カテゴリ:国内旅行
日光旅行2日目、いろは坂の渋滞が始まる前に早めのバスで奥日光・湯ノ湖まで
登って紅葉を探索
する予定であったが、あいにく相棒が風邪気味でお腹を壊した。
渋滞するかもしれないいろは坂が心配になったのでこの日は気楽に市内で過ごす
ことにした。
何十年ぶりかで東照宮を巡り、うん十年前の修学旅行を思い出すことにした。
かってここは旗を掲げたバスガイドのお姉さんに従う修学旅行生が渦巻くところ
であった。いま修学旅行はまれにしか合わない、代わって旗を持って率いている
のはアジア系言語を話しているガイドさんである。

金ぴかで極彩色の神社とも廟ともつかむ意味不明の社ではあるが、神君家康と
言う位であるから東照宮は神社である。ところが本殿と塀一つ隔てて陽明門の
隣の、鳴竜で知られる本地堂は薬師如来を本尊とする寺院である。
神道と仏教が一体化され、神仏混交の時代を挟んで神と仏の上下関係は時代と
ともに変化してくる。明治以降は神社が寺院の上にみられる傾向があるが、
家康、秀吉、乃木大将、東郷元帥たちは神になれても如来仏にも菩薩仏にも
なれないところを見ると、やはり仏が神より尊い存在なのかもしれない。

ともあれ東照宮に詣でるには身を清めなければならない、せめて立派な金張り
の瓦で飾られた手水舎で手を清めることになる。手水てみずと読むか
ちょうずと読むかで印象は異なる。御手洗お手洗いと読んでしまったら
御手洗さんに失礼だろう。



身を清め銅製の鳥居をくぐると左右両側にスカートを付けたような建物の鼓楼と
鐘楼が構えている。ここの銅製灯篭は屋根付きで鳥かごのようにつるされている。



下の写真で階段の上左が鼓楼。



階段正面の安建築の工事現場のようなテント張りがあの陽明門である。
60年以上前に修学旅行でここを見たとき、陽明門は一日眺めていても飽き
ない美しさで日暮の門とも称されるとガイドされて、わが美意思のなさを
嘆いたものであるが、この無残な形は何とかしてもらいたいものである。

例えば下の写真は一昨年訪れた同じ日光山内の輪王寺の修復現場である。
陽明門など比較にならないスケールの建造物であるが工事用テントには実物大
の絵が描かれていた。資料によれば陽明門はまだあと3年ほどが修復機関だ
そうで、都合6年間倉庫の改修のような醜い姿を見せるらしい。
高い拝観料が泣いていることだろう、徳川の将軍がこれを知ったら怒り心頭で
建築奉行は切腹を命じられたことだろう。
やはり神社より寺の方が人にやさしいのかもしれない。

RP1130017.JPG

とはいえ高い拝観料(¥1300)のてまえテントの下を通って門をくぐる
ことはできる。



さらに修復の終わった部分は見られるように幕に覆われていない部分がある。
全体的に白が基調であることが分かる。



たぶん白い彫刻は鏝絵ではなく彩色木彫であろう。





陽明門と本社・拝殿の間にはもう一つの唐門がある。
こちらの方は修復が終わて見事な彫刻を見ることができる



多くの木彫人物像が見られるが、中央には中国伝説上の帝である舜帝が座し
帝に仕える64人の像が彫られているという。家康をそんな偉大な帝になぞら
えての彫刻で顔を家康に似せて彫ってあるという。



それにしても屋根や塀には金がふんだんに使われ徳川幕府が諸藩から材を
搾り上げ、藩を弱体化させる仕組みが東照宮に象徴されている。





今も修復代の多くは全国の人々から集められた税金から賄われているのだろう。



返す外国人観光客を見てふと思ったのは今や世界中から貢がれていることである。








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2016.10.27 12:35:51
コメント(0) | コメントを書く
[国内旅行] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.