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愈々庵気まぐれ日記

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2016.11.15
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テーマ:国内旅行(1024)
カテゴリ:国内旅行
2,3週間前NHKの「ブラタモリ」という番組で富士吉田市上吉田地区の探訪をしていた。
私はいつも富士五湖への入り口としてここを通過することが多かった。
ここは富士山信仰が生み出した街で、江戸を中心として「富士講」が盛んになり、江戸時代から
明治にかけて賑わった町である。 信仰登山から娯楽登山に変わった現代でも観光の中心であり
続けている。
 
関東地方の人々にとっては富士山はちょっと高い処からは多くの場所から眺められ、「富士見」
がつく地名は多くある。私が住むマンションも真下の小さな流れを挟んだ対岸にその名がついている。
どこからも見える富士山もそこに行くとなると大変な労力と財力を要する案件であった。
そこで自然と富士山自体を神としてあがめる一種の宗教が誕生する。 日本全国どこへ行っても
見えるが行くのは大変という高山は常に信仰心を生むが、富士山への信仰心が「富士講」を生む
ことになる。江戸の人々は「富士講」という、今でいえば「同好会」のような結社を結び、
集会を開いては自己研鑽と宗教心と娯楽を兼ねて、共同で積立金を集め、何年かごとに富士山へ
の信仰登山を行っていた。また多くの「富士講」は地元に土盛りを作り「富士見塚」と称して  
社をまつり富士登山に参加できない家族たちはそこに詣でてご利益を得ていた。  

「講」の人にとって富士山自体がご神体であり、今は富士山駅前にある下の写真の銅製の 
「金(かね)鳥居」が俗世と神域を隔てる門であった。


富士山駅からまっすぐ伸びる道路は緩やかに登坂でここが富士山の裾野のすそ野であることを 
示している。 もちろん今は拡幅されているが、この通りには「御師の家」が連なっていた



 
「御師(おし)」とは富士浅間神社の神官でありかつ旅行業者であり、旅館経営者でもあった。
最盛時にはこの通りに86軒の御師の家があったという。
p
  
古い御師宿の一つ浅間坊の門が復元されて公開されている。勿論現代では多くの御師の子孫は
普通の生活スタイルの人が多いが、ここは御師の家から旅館へとオーソドックスな転身を
したようである。


吉田の街では昔から地図を書く、場合南を上に描くのが鉄則である。霊峰富士を下に描くなど
とんでもないことである。


門の前には石碑が建っている、中にはそれ以上もあるが33回登山記念碑が多くみられた。


「金鳥居」と浅間神社の間に並ぶ参道に沿って多くの御師の家が並ぶため、京都の町屋のように
間口が狭く短冊のような形で並んでいた。今は長いエントランス路を構えている家もある。


今でも営業しているとも思えないが何軒かの元御師の家では提灯を掲げてその存在を示している。





  
奥まったところで暖簾をかけている家は今何の商売をしているのであろうか。


ここは昔の宿場町には違いないが客は講の人たちであり、その付き合いは長く固定しているため 
街道筋の旅籠のような客引きなどは無かったことだろう。考えてみればここは浅間神社境内である。
とはいえそこはなんかの工夫があったのかもしれない。お伊勢参りにしても大山詣りにしても
旅の楽しみは十分に工夫されている。






Last updated  2016.11.15 13:34:06
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