739995 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

愈々庵気まぐれ日記

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Category

Archives

Recent Posts

Freepage List

Calendar

2016.11.17
XML
カテゴリ:都内散歩
激しく寒暖を繰り返していた後の日曜日、暖かい日差しに誘われて何十年ぶりかで大泉学園に
ある牧野富太郎記念庭園を訪ねた。ちょうど今年二月に亡くなった植物写真家・埴沙萌さんの
写真展が開かれている。

30年くらい以前にここを訪ねたときは牧野さんの住宅がそのまま記念館となっており、廊下の
窓には自然樹の枝が垂れかかって、室内も資料棚にほこりを被った収集品が山積みにされていた。
今は膨大な資料もほとんど首都大学に寄付され、書斎が新しい記念館の中に保存され、資料の
何点かがきれいに整理されて展示されている。

富太郎は高知の酒造家に生まれたが幼くして家族を失い、幼少期から祖母に育てられている。
小学校も中退したが植物学に目覚め上京、東大の研究室に出入りして研究の没頭した。そこで
輝かしい業績を残し、晩年に至り博士号を取得するが長い東大での研究生活も小学校中退の
富太郎にとって講師の職が最終である。最も研究に没頭したい富太郎にとってその方が都合好
かったのかも知れない。



上京前牧野は高知で植物観察を続けていた、その時の植物観察記である。


若き牧野の夢はまだ存在しなかった日本の植物総覧図集の発行で、彼が自費出版した
「日本植物誌図絵」の表紙が下のもの。


その後も牧野は植物図鑑の作成に一生を捧げている。驚くべきは牧野が著した図鑑は没後60年
を経た現在でも出版され続け、彼の誕生日(5月22日)は「植物の日」に制定されていると
いう(現在は国際植物の日として5月18日らしいが国内では22日にもいろんな活動がなされ
ているみたいである)。




冨太郎の作った標本と観察眼鏡やナイフ類が展示されている。


私も持っていたスイスのアーミーナイフのようだ。


竹もいろいろ種類がありそうだ。

資料棚も今はきれいに整理されているが私が昔見たときはほこりを被って山積みされていた。


書斎の表には富太郎の書いた看板「学問は底の知れない技芸也」の文字が。


裏出口には曲がりくねった太い幹が見え、「えぞのうわずみざくら」の表記があった。
どんな花が咲くのだろう。北国原産の桜らしい。


広くない庭園には多くの木々が植栽されており、さすがすべての木に名札がかけられている。


夫人の名を付けた≪すえこざさ≫に囲まれて胸像が建っている


入り口近くに「だいおうまつ」と書かれた松の大木がある。高い梢を見ると大きな松葉である。
枯葉を束ねたものを置いてあったがこんな大きな松葉は見たことがない。


最後に牧野の歌碑を示す。青い三波石の前に「花在ればこそ 吾も在り」、牧野の人生その
ものであろう。









Last updated  2016.11.17 14:29:39
コメント(0) | コメントを書く
[都内散歩] カテゴリの最新記事



Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.