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2010.03.09
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カテゴリ:「京」ものがたり
「ちょっと言いたくなる京都通」として奥深い京都の良さや
京都の人も知らない情報などをおりまぜながら、
わかりやすく紐解いていきたいと思います。
ぜひ身近に京都を感じてください。

京都の人はふだんは質素。
でも晴れの日には立派な着物をつくります。
質素倹約ではあっても、単なるケチではない京都特有の「衣」に対する
こだわりを紹介したいと思います。

今回のテーマは
・『着倒れ』とは、ウチらの気持ちをいうたもんえ。
・ええもんは、最後まで使わんとあきまへん。
・京都人は、本質を見抜く目をもってんのどす。

■ 『着倒れ』とは、ウチらの気持ちをいうたもんえ。
『京の着倒れ』だけでなく、『大阪の食い倒れ』や『神戸の履き倒れ』などとよく聞くことがありますよね。
『京の着倒れ』とは、京都の人が西陣織や友禅染めなど高級な着物を着るために破綻してしまうという意味。体面を気にする京都人を皮肉って使われます。
しかし、もうひとつ違ういわれがあって、京都の人はとても気をつかうので『気だおれ』から来たとも。
"晴れ"の日に立派な着物を着るのは見栄ではなく、会う人に対する気遣いだということ。

ちなみに大阪は、川が多いために地盤が柔らかく、橋や水路を作るために、町の人たちがお金を負担して「杭」を打ちつけ、基盤を強固にしていたといいます。
その費用は膨大なもので、それにちなんで『杭だおれ』といわれるようになったとか。
その後、食通の街を表す『食いだおれ』といわれるようになったそうです。

しかし『京の着倒れ』とは、実は京都人の高級な衣装をしめすとともに、朝粥やお茶漬けを常食とする京都の食生活の貧しさを意味するものであったともいいます。
それは、貴族に憧れていた町衆たちが、貧困という状況のなかでも、貴族のように生きたいという思いを強くもち、見栄を張ってでも良いものを着ることが必要だったということなのでしょうね。

■ ええもんは、最後まで使わんとあきまへん。
京都では着物を『たんすの肥やし』といいます。
この言葉は、いつのまにか無駄や不要などの意味で使われるようになりました。
しかし京都では、たんすの中に美しい着物があるだけで、美意識を育む肥やしになるとのことで、『たんすの肥やし』といわれるようになったといいます。
本来の意味合いは違うのですがそれはまた次回。
そのような美意識を育むための着物は、多いにこしたことはありませんが、簡単に何枚も買えるものではありません。
そこで京都の人は、帯を変えたり染め直しをしたりして、いつも違う着物を着ているように見せる工夫をします。
そして古くなるとそれを仕立て直したり手を加えたりして、三世代までは着るといいます。これが見栄っ張りといわれるゆえんかもしれませんけどね...。

そして着られなくなれば、座布団や巾着、雑巾などに縫い直して使い、最後は燃やして肥料にする。ものは最後まで使い切るという、いわゆる『始末』の心こそ、生活の知恵だと京都の人は考えるのです。安いものはいくらでも簡単に手に入るもの。しかしすぐに使えなくなったりして、結局『安物買いの銭失い』ってことに。京都人は、良いものは長い目でみるとずっと経済的であることをよく知っているのです。

■ 京都人は、本質を見抜く目をもってんのどす。
京の着倒れ』は、江戸時代以来のものらしいといわれています。
朝鮮から日本へと派遣された使者である朝鮮通信使の申維翰(シン・ユハン)が記録した、日本紀行文『海游録』にも書いてあるそうです。なんでも、鎖国下にあった日本では、外国使節の行列は、一生に一度見られるかどうかというほど珍しいもの。
それだけに行列を見ようと、美しく着飾った人々がおしかけたといいます。
通信使一行が最初に訪れたのは大坂。
大坂の人々の服装のきらびやかさにとても驚いたとか。
しかし、つぎに京都に行ったときには、「大坂以上だ!」とさらに驚いたというのです。
当時の京都人が、"晴れ"の日にどれだけ着飾っていたのか、この記述だけでもわかりますよね。

また京都の人たちは『着倒れ』に通ずる心は、物をつくることよりも本物を見分ける目を養うことだといいます。
「量より質」という考えのもと、善し悪しを判断します。
だから京都では、本質を見抜く目を持った客が良い職人を育てるといわれます。
職人と客の間で切磋琢磨し、お互いが成長していくのでしょう。
そのうち職人とお客との間に、お互いを認め合うという連帯感が生まれ、それで馴染みになっていくわけなのです。
だからこそ技術や感性が磨かれ、世界にも誇れる着物ができるのではないでしょうか。


美しい古都に思いを馳せつつ、おいしいお茶を飲みながら
    はんなりとした時間を過ごしてみませんか。

宇治茶 伊藤 久右衛門





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最終更新日  2010.03.09 08:18:15
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