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2011.10.06
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カテゴリ:「京」ものがたり
「ちょっと言いたくなる京都通」として奥深い京都の良さや
京都の人も知らない情報などをおりまぜながら、
わかりやすく紐解いていきたいと思います。
ぜひ身近に京都を感じてください。

今回のテーマは「京町家の暮らし」です。
・全国の町家建築に、大きな影響を与えたんどす。
・京都やからこそ、生まれたんとちゃいますやろか。

■ 全国の町家建築に、大きな影響を与えたんどす。
京町家は平安時代中期に起源を持ち、現在の形の基礎は江戸時代中期に形成されました。そしてその後、さまざまなマイナーチェンジを重ねて、大正末期から昭和初期に完成されました。平安京の時代に公家たちによって地方から徴用されてきた職人や商人たちが、京都に定着するようになったのが発端です。
その人たちは、通りに面した屋敷地を公家たちから買い取って、暮らしの拠点を大路や小路に面した空間に求めました。そこに小屋を造ったのが京町家の始まりといわれています。

通りに開いて商売を行うことにより、やがて京町家は軒を連ねて建ち並ぶようになり、会話や様々な活動が営まれる場となっていったのです。そして江戸時代になると、より豊かな共同生活のために「お町内」が発達。これは、回覧板を回したり、祭りや運動会などを行ったりする、今でいう町内会といったものでしょうか。ちなみに昭和初期頃までは、町家は「まちや」ではなく、「ちょういえ」と呼ばれており、町の集会所のことを指していたそうです。

生活が豊かになるとともに、建築技術も発達していきました。こうした建築技術の向上と普及は、工事の標準化や規格化を促し、結果、今日の京町家の原型が形成されたのです。これらの技術は京都の産物の流通とともに全国各地に広がり、全国の町家建築に大きな影響を与えてきたといいます。まさに京町家は、日本の町家の原型といえるかもしれません。

■ 京都やからこそ、生まれたんとちゃいますやろか。
京町家では、格子をきれいに拭くことから一日が始まりました。次に表へ出て通りを掃き清め、水を打ちます。これは京都らしい風景ともいえますが、実は家の前を掃いたり水を打つ時に、一軒あたりの担当する範囲はきっちりと決められていました。
自分の家の間口を少し横に出るくらいまで、そして道路の中心線から少し向こうに出たくらい、という習わしがあったのです。
「他人の生活には関わりませんが、まったく無視するわけではありませんよ」という、京都人の気質がよく表れています。
町家にはさまざまな種類があります。「表屋造り」は、商業空間である「表」と、居住空間である「奥」の棟が分かれており、奥には茶室や蔵、奥座敷を造るなど、比較的裕福であった商家などによく見られるタイプ。そしてもっとも典型的な町家は 屋根が「表」から「奥」までつながっており、店の間や台所、座敷など3~4室が一列に配されている「中二階」のタイプです。

また、店舗空間をもたない住宅専用の「仕舞屋(しもたや)」があり、これは隠居用に建てられるタイプでもあります。
ちなみに、店や仕事場を「仕舞う」という意味から「仕舞屋」といわれるそうです。明治末期~大正時代には、二階建ての「総二階」が出現。 二階の窓枠にはガラスが付けられ、かなり現代的になったようです。
また昭和以後には敷地を有効活用した
「三階建て」などが建てられました。 住み続けることを前提とした、伝統工法で建てられている京町家。使い続けるという「始末する心」を大切に思う京都人の感覚が、京町家からも伝わってきます。


美しい古都に思いを馳せつつ、おいしいお茶を飲みながら
    はんなりとした時間を過ごしてみませんか。

宇治茶 伊藤 久右衛門





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最終更新日  2011.10.06 07:22:13
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