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2016.07.15
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カテゴリ:「京」ものがたり
約1200年前、京都に都が移されました。

ところが、東に加茂川、西には桂川が流れる京都は盆地。
平安京はそんな盆地の中央部、
もともと人の住んでいなかった湿地帯に造営されます。

人口が急激に増え、今でいう都市整備が追いつかず、
水が原因で夏になると疫病が流行ります。

『なんでこんな目に会わんなんのやろう』と、古代の人が考えても
本当の原因は判るはずもなく、
古代の人は、疫病は無念の死を遂げた怨霊の仕業と考えました。

怨霊とは、
政治的な争いで暗殺されたり刑死したり、
流されたり失脚したりのあげくに、恨みを抱いて死んでしまった人の霊魂。
そんな霊魂が、怨霊となって疫病を流行らせ災厄をもたらすと考えたのです。
この怨霊を鎮めようとしたのが祇園祭のはじまりなのです。

貞観11(869)当時の国の数である66ケ国に合わせ、
八坂神社に66本の穂木(先のとがった常緑樹)を立て、
怨霊を依り付かせ、神泉苑の池に流したのが始まりです。

祇園祭は八坂神社に穂木(ホコ、先のとがった常緑樹)を立て山鉾に変わるのは
室町時代のことで鉾の真木に榊を付け、山に松を乗せるのは穂木の名残です。
江戸時代になると町衆が力を付け、富と力を誇示する美術工芸の祭りとなります。
今でも小路に入れば、秘蔵の美術品を通りから見えるように飾り付ける屏風祭を
続ける旧家も多く、お囃子を聞きながら見物するのも宵山の楽しみです。

一昨年から山鉾祭りも先山祭りと後山祭りに分かれて催うされることになりました。
今年の先山は17日の日曜日と重なり大勢の人出が予想されます。

今年も良いお天気に恵まれて楽しい祇園祭が開催される事を祈ります。





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最終更新日  2016.07.15 08:30:38
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