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カテゴリ:古代日本正史
写真上:蘇我蝦夷・入鹿の双墓?が発見された場所 「今来(いまき)の双(ならびの)墓=蘇我蝦夷・入鹿の墓」発見か?
26日はSBS学苑遠鉄校で27日はSBS学苑パルシェ校で二日続けて 「古代学の世界」を受講した。 SBS学苑静岡パルシェ校では毎月第三土曜日に受講している。 講師は元同志社大学教授(古代学研究者)の辰巳和弘先生である。 先生には奈良大学の卒論「浜松市・都田川流域周辺の文化の変遷」では、 迷ったときに適切なアドバイスを貰い感謝している。 26日はテーマが「神の眼・神の耳」である。 豊かな大きな耳は「神の声を聴く」また「民の声を聴く」ことが出来る象徴である。 聖徳太子は厩戸豊聴耳皇子とも言われた。などなど 27日のテーマは「丹塗矢神話と矢の呪力」である。 鉄やじり(矢)は男らしい男の象徴であり、また邪悪なものを除く魔力がある。 大切な男人の木棺には鉄やじり(矢)が埋納されているケースが多い。 内容はなかなか奥深い新しい発見の多いものであったが、講義の冒頭に教えて頂いた 「ホットなビッグニュース」に驚いている。 それは奈良・明日香に蘇我蝦夷・入鹿の「今来の双墓」が発見されたようだとの知らせである。 642年、皇極天皇の時代に蘇我蝦夷は、何か期するところでもあるかのように、葛城の高宮に先祖の廟を新設し、中国の王家の舞である八併舞(やつらのまい)を奉納する。
さらに引き続き、全国から大勢の人夫を徴発、今来の地に自分と息子(蘇我入鹿)のために双墓を造営し、蝦夷の墓を大陵と呼び、入鹿の墓を小陵と呼んだ。 蘇我蝦夷は、墓の建設は自分の死後人に苦労を掛けないためだと言ったが、 上宮王家(聖徳太子一族)の春米女王は「蘇我臣は国政を我がものとし、非道な行いが目に余る。天に二日なく、国に二王なしと言うのに、なぜ全国の民を勝手に使役するのだ」と非難したと伝えられる。
来年早々には報道されるようである。 場所が奈良県立明日香養護学校の敷地内のようであるため、慎重な扱いが必要である。 限られた日程で現地説明会が予想される。 時間が許せば、真っ先に駆けつけたいものだ。 静岡パルシェ校での講習会のあと、静岡Cenovaに寄っている。
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Last updated
2014.12.31 18:13:51
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