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日英行政官日記 (旧 英国日記帳)

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Oct 27, 2007
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今回の政策懇談会は、特別ゲストとして、シンクタンク「構想日本」代表、東京財団会長、慶應義塾大学総合政策学部教授を務める加藤秀樹氏にお越しいただき、「行政→政治→社会」というテーマで講演をいただきました。

<講演概要>

加藤氏は、大蔵省(現財務省)に約20年勤務された後、退官し政策シンクタンク「構想日本」を設立した。昔からマスコミ等による官僚叩きは行われており、日本にもアメリカのような政策シンクタンクを作ってはどうかという発想はあったが、誰も自分でやろうとしない。そこで、自らが先駆者となった。

しかし、政策シンクタンクを運営することは簡単なことではない。何から何まで自分でやらなければならないし、財源も限られている。例えば年金や地方自治の問題等、個々の政策について何がしか語れる人は大勢いるが、政策提言のプロとしてのレベルを確保しなければならない。

霞ヶ関の官僚とのアプローチの違いの一つは、現場の視点である。例えば年金についていえば、そもそもこれが人を幸せにしているかどうかを問いかけなければならない。公的年金を維持するのには費用がかかるし、これをもらっている退職者が幸せになっているとも思えない。昔は、年寄りにもそれなりに仕事があった。年寄りが働くことによって幸せに暮らすことができるし、またその技術も伝承されていく。こうした年寄りから学ぶために、「日本再発見塾」という地域体験のイベントなども企画している。年金はpublicなものとして維持する必要があるのか、publicとprivateの領域を問い直す視点が必要である。

温暖化対策にしても、根本からの議論がなされていない。京都議定書を守れるかどうかといったことは本質から離れた議論であり、本質は、climate changeという現象をいかにコントロールするかということである。

構想日本には、官僚も足繁く訪れるが、「昼来る役人」と「夜来る役人」に大別できる。「昼来る役人」は幹部クラスで、加藤氏の言論を抑えようと「ご説明」に来る。「夜来る役人」は若手で、日中は省内の業務をこなしながら、自分が本当にやりたい政策を議論するために夜構想日本にやって来る。最近、選挙等で霞ヶ関を離れる若手が増えており、「夜来る役人」も減ってきた。マスコミの短絡的な官僚批判なども背景にあるが、官界からの人材流出は憂慮すべきことである。

日本の政治・行政は、内閣の在り方によって説明できる。日本では伝統的に、「弱い内閣」が存在していた。党幹部の多くは入閣せず、政策は与党有力議員と官僚が主に決定する。その過程で不透明な調整が行われ、責任の所在も曖昧になる。これを、例えばイギリスのような「強い内閣」に変えることが望まれる。すなわち、党の幹部を内閣に取り込むことによって、内閣が与党と官僚を掌握することを可能とし、内閣の責任で主要な政策決定を行うのである。

さらに、現行の組織=官庁ありきの体制から、政策=内閣ありきの体制に変えていく必要がある。現在は、各省庁の設置法により、各省庁の権限があらかじめ規定されており、それぞれの省庁の存在を前提とした縦割り構造となっている。しかし本来は、政府の在り方は内閣の政策からスタートすべきであり、与党=内閣が掲げる政策の実行部隊として、大臣が存在し、その下に各省庁が配置されるという構成とすべきである。こうした政策主導の行政機構とすれば、縦割りが解消しやすいし、スリム化もしやすい。

日本の従来の構造では、与党の力学で、当選回数の順に大臣になるので、政治家が政策の勉強をするインセンティブがない。大臣に政策能力が無いため、官僚がそれに代わることとなり、業界への説明から政党間の調整まで官僚がこなすことになる。官僚は、余計な仕事をたくさんやらされているわけだが、それが権力の源泉ともなり、「居心地の良い」バランスが成り立ってしまっている。本来、こうした役割は大臣が担わなければならない。

また、政党の統治能力を高める必要があり、そのためには政治家のカネの流れを透明にしなければならない。現在は複数の財布に分れており不透明な政治家のカネの流れについて全体像を示して監査を義務付け、国民があたかも会社に対する株主のように、その状況をチェックできるようにすべきである。

<ディスカッションの概要>
「霞ヶ関からの人材流出」は、憂慮すべきであるという見方がある一方、むしろ公的政策を担う人材が霞ヶ関に集中している状況を是正するという意味で、肯定的にもとらえられるのではないか。

そもそも、霞ヶ関に優秀な人材が集中しているのかということ自体疑問があるが、潜在的には優秀であり、かつ公のために働こうという志を持った人が多く集っているのは確かである。こうした、公的な仕事への情熱を持った人が、霞ヶ関でそれを実現できないとき、他に行き場がないのが問題であり、結局ビジネスの世界へ行ってしまったとすれば、それはもったいないのではないか。

publicとprivateの領域という話があったが、例えば介護は、元来はprivateであったものが、家庭で担いきれなくなり国家で行うという話になっている。同様に、教育も家庭の領域から国家へとシフトしていく流れがある。こうした中で、地域コミュニティによる行政機能の代替には現実性があるのか。

publicの領域とは、時代によって変わるものである。介護などは確かに、privateからpublicへという流れがあったが、行政が引き受けたからといってうまくいくとは限らない。行政の場合は融通がきかないため、結局受け手の側に立ったサービスが提供できない場合がある。年金にしても、本当に公的に供給する必要があるのかどうかは疑問があり、公的年金は廃止して、代わりに経済困窮者に対しては生活保護を手厚くするといったことも考えられるのではないか。

内閣の機能強化という方向性はまさに正論であるが、これが実際に機能するためには、政治家の選ばれ方が変わる必要があるし、またイギリスのように、首相や閣僚に政治任用によるアドバイザーを多数付ける必要があると思われるが、どう考えるか。

政治任用はある程度取り入れた方がよいが、他方、情実人事により行政の中立性が失われる危険もある。政治家の質を良くする特効薬は、選挙区を変えることである。優秀な者は楽な選挙区を割り当て、優秀でない者は激戦区から出させるということにすれば、政策能力を身に付けようとするインセンティブが生まれる。

弱い内閣から強い内閣へという流れは、小泉政権以来ある程度生じてきているように思われるが、まだ不十分なのか。これには制度的な手当てが必要なのか。

制度的な対応は全く必要ない。この変化は現行制度においても実現できる。ただし、小泉政権においてこの流れが出来ているとう観方には同意しない。

しかし、行政実務の実感としては、官邸の存在感は増しているように思う。役所によって差はあるかもしれないが。また、権力の源泉が与党議員と官僚にあるとすると、政策シンクタンクが様々な提言をしたところで、なかなかそこに影響を与えるのは難しいのではないか。

官邸の存在感が増しているのは、「政策通」の族議員的な政治家が減ったことにより党の比重が軽くなったためではないか。数年前、「政策新人類」と呼ばれたような政治家達がもてはやされたことがあったが、何もないところに、外資系のコンサル達がうまく食い込んできたに過ぎない。だが、そうした状態であればこそ、構想日本のような政策シンクタンクが活躍する余地もあるといえる。

日本は、他国に比べて、自国の文化を売り込むのが下手であるように見える。官僚がもっと力をつけて日本の良さを説明すべきである。






Last updated  Nov 1, 2007 12:54:33 AM
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