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ROAD TO 3号物件(旧ROAD TO MANSHITSU(~満室への道))

ROAD TO 3号物件(旧ROAD TO MANSHITSU(~満室への道))

韓国今は昔

●韓国その10
そして一日目の晩は、食堂でサムゲタンを食べました。
たしか当時7000ウォンくらいだったと思います。
付け合せのキムチの種類が多く(量も多い)
おなか一杯食べました。

●韓国その9
コンビニに行くと、インスタントラーメンを
作るためのポットがあり、各自勝手にお湯を注ぎ、
店内で食べるイートインというのが一般的のようでした。
大体日本と構成は同じで特に目新しい感じはしませんでした。

●韓国その8
本を読みたくなり、プサンの大きめの書店に行きました。
そこでは日本と同様、地べたに座ってマンガを熱心に
見る子供が沢山おり、また夏の暑い日ざしを避けて
涼んでいる様子でした。

●韓国その7
プサンタワーの周辺には、かなり長い地下街があり
散策をしていると、当時オーディオメーカに勤めて
いたのですが、担当したミニコンポが展示されていた。
韓国には、正規で輸出していなかったので、
おそらく個人で輸入したものだと思われますが、
結構うれしかったので、店員にこのコンポの
マイコンのプログラミングをしたことを英語で
伝えたところ、興味がないのか全く通じなかったのを
覚えています(ガックシ)
※つづく

●韓国その6
釜山港で$200ほどウォンの両替し、地球の歩き方を
参考にとりあえず、地下鉄の駅方面に歩いて行き、
通りの向こうにマクドナルドを発見。
腹ごしらえの為、入店する。メニューを見ると
さほど日本と変わらない様子。
確か日本円で\200~\300くらいのセットメニューを
頼んだ。「なんだ、マクドはあんまり値段が変わらない
んだなー」と思いつつ、ハンバーガーをほおばっていると、
隣は日本人と思しきひとが座っていた。
(フェリーターミナルから近いので無理もない)
マクドを出て、とりあえず宿を探そうと、これまた
「地球の歩き方」に出ている安宿を発見し(といっても
激安でもない)そこにチェックインした。
少し、荷物が軽くなったので、山手の方に進むと
ロシア語で書かれた店が多くなっていた。
(これが、ロシア人街か。。)と思いつつ
歩くと、見通しの良い場所にでて港全体が眼下に広がった。

●韓国その5
そうそう、フェリーに乗り込むと、50~70歳くらいの
韓国のおばちゃん(おばあちゃん)と思しき集団が、
場所を陣取っており、ガヤガヤと騒いでいた。
このオバチャン連中は、通称「カツギヤ」と呼ばれる
個人輸入で生計を立てている人達である。
今では、どうか知らないが当時は行きも帰りも
このような団体オバチャンが大勢乗っていた。
そして、韓国入国時に荷物を持ってくれと頼まれたが、
変な物だと後で問題になるかもしれないので、
ヤンワリと断った。

●韓国その4
そして、出国審査も無事終わり、フェリーに乗り込んだ。
席は当然一番安い、雑魚寝の2等席だ。
座っていると、隣に同年代?くらいの兄ちゃんが
座り、ヒマなので色々話をしていた。どうやら京都に
住んでいて、日韓合同切符というもので来ているらしい。
(新幹線-関釜フェリー-セマウル号の往復チケット)
へーそういえば、そんな切符あると微かな記憶が
あったのだが、結構高いとのことで却下した。
そのうち、だいぶ早い時間に釜山港についたのだが、
イミグレーションが開くのがAm8:00ということで、
だいぶ待たされて、入国した。

●韓国その3
パスポートもなんとか間に合い、お金を何で持っていくか
考えた末に、トラベラーズチェックに決定した。
確か、$700くらい購入した記憶がある。
新幹線で下関までいくと、フェリー代より高くつくので
青春18切符のばら売りを、卒業した大学の生協にて購入し、
京都発のムーンライト九州に乗り込んだ。
急だったので、当然指定席はとれず、さらに夏休みの
シーズンとあって、発車30分以上前に京都についたにも
かかわらず、ホームに人があふれ返っていた。
電車に乗ると、人でぎゅうぎゅうになっており、
連結の狭い隙間にも体を押し込んでいる若者がいた。
とにかく、限界だったので、岡山で降り(AM3:00頃)
始発を待つことにした。
当時岡山駅のまえは24時間の店がほとんど無く
(コンビニもあったが、出口が逆で通路が閉鎖されていたので、
大回りをしなければいけなった)
ベンチで横になったりしながら、始発を待っていた。
大体そんな時間に起きているのは、浮浪者かヤンキーくらいの
もので、金をスラレないように気をつけながら朝を向かえた。
始発の電車に乗り、座席を占領しながら、やがて広島→山口
に移動し下関に到着した。
ちょっと時間に余裕があったが、早速チェックインし、
フェリーターミナルで待っていた。
※つづく

●韓国その2
初めての海外旅行だったが、いきなり一人旅となった。
会社が夏休みの前に、そうだ海外旅行に行こうと
突然思い立ち、色々調べたが、お盆周辺では、
格安航空券が無く、ガックリきているときに
ふと、「韓国までならフェリーが出ていたよな」
と思い出し、昼休みに会社を抜けだし、
旅行代理店に聞くと、往復2万円もしないことが
判り、「ヨシ!これだ」
まだ、パスポートも持っていなかったので、
その日会社を急遽、午後半休し、戸籍謄本を取りに、
戸籍のある○×市に行き(市役所が駅から遠かったので
汗をカキカキ、人に聞きながら市役所に行った記憶がある)
その足で大阪のパスポートセンターについたのが、PM3:40ごろ。
書類を見つけて、15分で急いで書いて、窓口の姉ちゃんに
いやみを言われながら(職員としての対応としては最悪、
間違いを指摘するのは仕事である。)もその日に申請が
ぎりぎり間に合った。

●韓国
私が初めて行った海外が韓国だった。
下関からフェリーに乗ってプサンに行き、
陸路(セマウル号)にてソウルに行った。
韓国について最初に思ったのが、地下鉄にて
「なんかキムチ臭いなー」と思ったことである。
話には聞いていたが、実際匂うと納得である。
地下鉄に乗るときに、進行方向が逆のホームに
入ってしまったので、駅員に言って逆のホームに
行こうと思ったが、居なかったので、
改札を乗り越えてまるで不審者のように
逆側に出たことを覚えている。
そして、しばらくして電車が入線。ドアがプシューと開き
正面の乗っていた兄ちゃんの背中を見ると、
「安全地帯」
とプリントされたシャツを着ていた。
どうやら、この当時('95)から既に人気はあったようだ。


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