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ROAD TO 3号物件(旧ROAD TO MANSHITSU(~満室への道))

ROAD TO 3号物件(旧ROAD TO MANSHITSU(~満室への道))

PC遍歴

●所持PC(遍歴)18
さらにちなみにOさんからは、「デートだったらいつでもOKよー」
と書かれた紙を手渡されたことがあるが、
返事をしたことはない。
(タイプだったら即行動であるが。。)
ちなみに中学時代に当時ソフィーマルソーの出ていた
映画「ラ・ブーム」をいっしょに見に行こうと女の子に誘われた
ことがあるが、当時シャイで更に、映画など行く甲斐性も
無かったので、返事もしなかったことがある。
結構可愛い子だったので、いまでも悔やまれることである。

●所持PC(遍歴)17
ちなみに、その山岳部の数少ない女子部員であるOさん
は、藤本義一の親戚関係に当たるひとだったのだが、
カシオのワープロを使って書いた部の報告文書?
(正確には覚えていない)
はなかなか文才があると、感じたものだった。
さすがは、作家の親戚である(関係ないか)

ちなみにOさんからは、高校当時クラスの女子が主催していた
男子人気投票で「takadayo君結構上位だったから、そんなに悩まなくていいよ」
と教えられたことがあり、別に人にそんな悩んでいるふり
なんか見せたこともないのに、そんなことを言われた覚えがある。
(実際は悩みとコンプレックスの塊だったが)

後日、小学時代のクラスメイトで同じ高校に通っていた
Tさんからも「小学時代カッコよかったよね」
と、過去の話をされてもうれしくなかった記憶がある。


●所持PC(遍歴)16
火曜日の担当は、藤本義一と呼ばれる関西の作家(おっさん)
なのだが、秘湯の旅のコーナーが終わるときに、
後ろの画面に移り、だんだん小さくなっていき終わるの
だが、日本全国の数百万のヤングボーイは、誰も藤本義一の顔は見ておらず、
その小さくなる後ろのウサギちゃんを点になるまで追っかけていくのであった。
(山岳部M談。ワシも同意)


●所持PC(遍歴)15
さらにPC話からは脱線するが、
中学生・高校生の当時は、「11PM」「独占!おとなの時間」
など、エロ番組が目白押しで、大変なエネルギーを持って
拝観していたのだが、「11PM」に関しては、
とにかくその日の新聞の番付を見て、
「今夜は、最後まで見せます!風俗総力特集」
など、タイトルだけでウハウハになりながら、
いつまでたってもこちらが望んでいた特集にはならず、
0:10過ぎからは、あきらめモードに変更されていく。

そんな中でも好きだったのが、火曜日の「秘湯の旅」
のなかで出てくるうさぎちゃんと呼ばれる、
バニーにような格好をした、温泉ギャル(上半身裸)
を見たいがために、火曜日は特に、親の就寝をチェックして
タイミング良く見ていた。


●所持PC(遍歴)14
ほとんど、PCとは関係の無い話になったが、一応高校生
の時も部活の合間を縫ってプログラミングは続けていた。
しかし、この頃になると、興味は自転車と山登りがメインに
なっていた。
この頃の活動内容は
4月:新人歓迎 ブナヶ岳登山
5月:地獄のボッカ山行(30kの荷物を担いでトレーニング)
6月:どっか近場の山
   自転車で京都に行く
7月:自転車で琵琶湖(浜大津)に行く
8月:北岳縦走登山(素晴らしかった)
   自転車で琵琶湖(近江舞子)
9月:自転車で琵琶湖(近江今津)
10月:ブナヶ岳
11月:近場の山
12月:忘れた
1月:湖西の山(初めての冬山)

と山・自転車の日々だった。


●所持PC(遍歴)13
進学した高校では、新入生への部活紹介が行われていた。
その中で、パソコンサークルもあったのだが、部室の
雰囲気が暗く、高校デビューを目論んでいた私は、
「よし、スキー部に挑戦だ!」
と思い説明会へ。
説明会では、「えーこの部は年間20万以上お金がかかり・・」

却下。

そんな金があったら、フロッピーディスク(8インチ)でも
欲しいわと思った。

次は、姉がアルフィーのファンでフォークソング部に入っていたので、
その影響で、一応フォークソング同好会の説明会へ・・
「お、期待の新人やな、云々・・・」
なんか、押し付けがましいな、、

同じクラスメイトのMに色々話かけていたが、
スキー部に同じ理由でやめたもの同士だった。
その中で、「よし、いっしょに説明会まわらんか?」
というわけで、
次にフュージョン同好会
「なんかちがうな。。」
次に山岳部へ
行った当日
部室では、歓迎の米を炊いていた。
「・・この部は何かちがう・・ひょっとして肌にあうのでは?・・」
いっしょに行ったMも同じ空気を感じていたようで、
当初はマイコンサークルに所属するはずの私が
なぜか山岳部に入ることになってしまった。


●所持PC(遍歴)12
そして、この○×高校に進学することになった私だが、
当然合格した次の週末に日本橋に行き、
FM-7+モニターを買ってもらった。
配達されるまで待ち遠しく、
配達された当日は、うれしくて本体に頬擦りしたものだった。

更に、知能犯である私は、当時としては珍しいモニターがTV
チューナー内蔵タイプを選択したので、
これで、「11PM」や「サタデーナイトショー」など
スケベ番組が自分の部屋で見れるとダブルでガッツポーズ
したものだった。


●所持PC(遍歴)11
中学3年当時、親に言われていたのが、「○×高校に
入れば、好きなものを買ってあげるわよ」
と言われていたのだが、中2までは大した成績でなく
塾は中一の時にやめていた(塾のバイト講師が気に入らなかった)
ので、進験ゼミなる通信教材を※ヤングタウンなどを
聞きながら勉強していた。

割と真面目に期限を守って出していたこともあり、
最後のページ付近の全国順位に名前がでることも
あったが、学校での実力は大したことがなく、
「○×高校なんて絶対むりだ」と思っていた。
しかし近畿地方での統一テストである「五木の模擬試験」
で学校の校内順位がでるのであるが、4月から秋にかけて
順位が15~16番くらいだったのが、7・8位位に
なって射程範囲に入り、「おお、これならひょっとして」
と思っていたのだが、通信簿では、いつも「行いのようす」
が悪く、内申書もイマイチだろうと思っていたので、
3者面談の時に恐る恐る聞いてみると、
意外にも「まあ、頑張れば受かるんじゃないですか」
と言われ、「よっしゃ、FM-7をゲットするために
猛勉強じゃ」とマイコンほしさにかなり頑張り、
塾にも行かず隣の市にある○×高校に進学することになった。

※当時MBSで放送されていた、まさにヤング向けの放送
 金曜日の谷村新司の「女性立ち入り禁止コーナー」は
 特に、中学生に人気があった。
 そのコーナー放送時は、ラジオにイヤホンを挿して聞くのが
 定番であり、その時間帯に親から
 「早くお風呂はいりやー」など言われるものなら、
 殺意を覚えるものであった。

●所持PC(遍歴)10
そして、受験の始まる前の中2の3学期のころ、
そうだ、とりあえず自分の実力を試すために、
ソフトハウスにプログラムを送ってみよう、と思い
雑誌I/Oに載っていた、とある会社にプログラムの入った
カセットテープを送付した。
そして、しばらくして、返送されてきたものは・・・
「現在この機種では、ソフト発売の予定はありません
申し訳ありませんが、ご容赦ください。」
との内容の封書が送られてきた。
ああ、やっぱりダメだったのかと肩を落とし、
それから受験のため1年、プログラム生活からは足を洗うことに
した。


●所持PC(遍歴)9
なんで、当時こんなくだらないゲームに熱中していたのだろう
とたまに思うときがあるが、やはり「創世記の面白さ」
ではないかと思う。
何事も完成された時点で、古くなってしまって
やがてブームが終わり、祭りのあとの一抹の
寂しさが漂うものだ。

当時は、インベータゲームから始まり、ギャラクシアン
パックマン、ムーンクレスタ、クレイジークライマー、ゼビウス
など、小・中学生を熱狂させるゲームがあり、
そのゲームを模倣・作製・進化させようと、
全国のベーマガ・I/Oファンが、日々切磋琢磨していた
光景が目に浮かぶ。これは、いまのようなインターネットの
社会ではないので、情報が乏しく、しかしその中で知恵を使い、
雑誌に掲載のプログラムを打ち込む一方で、
いつかはオレもとばかりに野心をギラギラさせていた、
チビ・プログラマーが多数いたことと思われる。


●所持PC(遍歴)8
そうこうしているうちに、例のVIC-1001が買えるお金が
たまり、いざ出陣とばかりに、日本橋にオヤジといっしょに
買い物に行ったことは、先日の日記に書いたので、
割愛させていただくが、購入後、早速プログラミングを
開始し、ちゃくちゃくと実力もアップしていった。
しかし、このマイコンは、モニターが普通のTVに接続する
タイプで(もちろん専用モニターも売っていたが、高くて当然
買えない)また、バックは白地に品質の悪い文字を見ていた
為に、みるみる視力が落ち、小学生の時両目2.0の視力が
中学3年の時に裸眼で黒板が見えないことがあり、
眼鏡を購入する羽目になったのだが、もちろん原因は[VIC-1001]
である。



●所持PC(遍歴)7
そうそう思い出したのが、T君が某会社のプログラミング
コンテストで彼の作成した「オイチョカブ」が入選し、
賞金3万円なりをゲットしたのはちょっとうらやましかった。
彼は、そのお金で、雑誌「I/O」に載っていた、
MZ-80B用PSG3音音源ボードを作製したが、
どうもうまく動作しない様子。そこで当時ハードの
方はマカセロとばかりに私が、配線チェックなどを
していたが、特に問題はない・・なぜだろう・・
オシロスコープも無いし・・
と結局わからずじまいで、ハード屋としての
顔丸つぶれだったが、その1年後くらいに
その雑誌「I/O」の最後の方のページに小さく
「お知らせとお詫び」という欄で、その記事の
訂正が書かれていた。

その日以来すべてのものは、疑ってかかる癖がつくようになった。



●所持PC(遍歴)6
「VIC-1001」
このマイコンが気になって仕方が無かったので、
近くの西武高槻店やミノミヤ無線などを廻り、
その実力を試していた。
そこには「OH!VIC」なるユーザー連帯雑誌があり、
ちょうど、簡単なプログラムの載っていたので、
打ち込んでみたら、意外に面白かったので、
どうしよう買っちゃおうかな・・・と結構気になっていた。
次の日から、クラスメイトのT君らとマイコン・ベーシックマガジンを広げながら、
ワイワイとマイコン談義にふけっていた。
彼は、既にMZ-80Bという大物マイコンを所持していたので、
余裕の表情だった。(よく彼の家にいって、プログラムを
打ち込むのが日課だった)

●所持PC(遍歴)5
そして、ポケットコンピュータに限界を感じていた私は
次なるターゲットを「マイコン・ベーシックマガジン」
なる雑誌で物色していたのだが、
そのころ、第一次マイコンブーム真っ盛りで、
PC-8001,PC-6001,MZ-80,JR-100,シンクレアなど
よだれを流しながら眺めていると、
「VIC-1001」なるまさにゲームマシン
と呼ぶにふさわしいマイコンがあった。


●所持PC(遍歴)4
このときに、プログラムを記述したノートが見つかった。
驚くほど、几帳面にきれいに書いている。
「おお、すごい・・」
その勢いでプログラミング街道をまっしぐらなら、
今ごろミニ・ゲイツになっていたかもしれないが、
実は、タダのせこいおっさんになってしまいますた。

●所持PC(遍歴)3
当時このポケコンは、定価\29800で実売\17,000
で買ったのだが、プログラム領域が400stepと
驚異的に少なかったので、いかに短くプログラムを
書くかテクを要求されていたが、
すぐに限界を感じ、何とかできないかと思っていると
上位機種のPC-1211は1424step使用でき、
さらに、当時I/Oという雑誌に改造記事が載っていた。

「よし、これだ!」

と思った私は、雑誌の内容を頭にこびりつけ、書店の
外でメモをし、大阪日本橋にDRAM?を購入しに片道25km
の道のりを自転車で駆けていった。

値段はよく覚えていないが、\1,500くらいだったように
記憶している。

フタを開け、メモの場所にRAMをはんだ付けしようとすると、
基盤の穴はハンダで埋まっていた。
「~どーしょー。。」

しばらく考えて、部品を押し付けながらハンダを溶かして
いったが、どうしても部品の足が入らない。

そうこうしているうちに、配線が一本切れて
接続する場所がわからなくなった。。

どうしよう。。

しばらく考えて
「そうだ、買った店に行って、[電池交換の時に線を切ったので、
中を見せてくれ]といえばいいんだ」
と、思いつき自転車で30分の茨木市の和光電気に行き、
相談したら、快く中を見せてくれ、切れた配線の位置が判明。

家にもどり、早速線を元につける。
だが、RAMを取り付けられていないことには変わりはない。

しばらくして・・
「そうだ、基盤に穴をあけたらいいんだ」
と考えて、近くのホームセンターに細いドリル用のチャックを
購入(当時結構高かった)

おそるおそる穴をあけ、ハンダくずを取り除いた。。
そして、部品を挿入
「ぴったりだ!」
そして問題なくハンダ付けは終了。

マニアックな1日は終わった。


●所持PC(遍歴)2
1981年 PC-1210(SAHRP)4-bit ポケコン→その後(行方不明)
このポケコンは4bitマイコンを内蔵していて、当時画期的だった
BASIC言語を搭載していたのである。
しかし、その処理速度の遅いこと遅いこと!
for-next 1000回ループが7分もかかっていた。
当時のライバルカシオFX-702を店頭で触ってみて
違いに愕然としたことを良く覚えている。。

しかし、買ってしまったものを後悔しても仕方ないので、
雑誌に載っていたプログラムをシコシコと入れていたのだが、
処理速度が遅く(無駄が多い)サブルーチンの場所を
入れ替えたり(上の番地に入れると、若干早くなる)
など、今のPCプログラミングとは概念(次元)が違う
ところで、楽しんでいたことを覚えている。

「・・お、1step短くなったぞ!」
「・・お、表示が1.5秒早くなったぞ」

自己満足の世界である。

●所持PC(遍歴)
1981年 PC-1210(SAHRP)4-bit ポケコン→その後(行方不明)
1982年 VIC-1001(コモドール)→その後(多分実家)
1984年 FM-7(富士通)
1985年 PB-500(CASIO)ポケコン
1995年 型番忘れた:COMPAQ(モニタ一体型PC-WIN3.1)押し入れにある
1997年 FM-V DESK POWER(WIN95)→ヤフオクで売却
1999年 ドスパラで買ったオリジナルPC(cyrix333)→電源死亡
2001年 若松通商オリジナル(celeron773)→現役(メイン)
2003年 Ains1オリジナルPC(celeron1.7G)→現役(サブ)
と、大したことのないPC遍歴である。

●音がでる電子工作

そこで、\1,000以内で出来る電子工作について、書いていこうと
思う。(本屋の\100レシピに対抗して)

●シンセサイザー
私はシンセが好きだ。というのは、以前に日記に書いているので
割愛させていただくとして、最近のシンセは音を作る楽しさ
というのが、ほとんど無いように思う。自分は小学5年くらい
の時から音の出る電子工作をしていたので、部品を交換したり
することで音色が変わるというのを体感しているが、
今の子供は、電子工作なんかできるのか?
いや、たぶんパソコンの組み立てなんかに流行がいっているの
かもしれない。アキバもパーツ屋は減っているが、相変わらず
パソコンショップは多いし、ジャンク屋も健在だから。。


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