鷲羽岳の記憶心に刻んでおくだけの山登り(記憶が曖昧)“薬師岳” “黒 岳(水晶)” “鷲羽岳” 写真はけっこう残っている、でも今、ここにはないです。。 先発隊、私とT先輩 後発隊、M先輩とS先輩とHさん(女性) と行った、雲ノ平への縦走、あの頃、あの時、あの場は、 最高だったかもしれない。。。 「富山駅野宿(泊)~有峰口~折立~太郎兵平キャンプ地(泊)~薬師岳 ~薬師沢小屋(泊)~雲ノ平~祖父岳~黒岳(水晶)~鷲羽岳~ ~三俣山荘のキャンプ地(泊)~今は廃道~湯俣川~晴嵐荘~高瀬ダム ~温泉(泊)~信濃大町」 4泊で行った。。。 出発日:? 或る夏の日(いつか調べます。) T先輩は、休憩の時刻まで、全て手帳に記入していたので 聞けば、いいのだろうけど。。。。 急行きたぐにの自由席で、富山駅へ、そのまま、富山駅の外で野宿(泊)。。 翌日、一番電車で折立へ。。 そこから、太郎平のキャンプ地にT先輩とテント(泊)。。 深夜?早朝? 真っ暗闇の中、T先輩に起され、ヘッドライトを点けながら、薬師岳を目指した。。 (眠いし、恐いし、道に迷うし、こうゆう登山苦手だな、軟弱な私。。) 早朝に頂上に着いてしまった。。 その写真は、A4サイズに伸ばして、しばらく部屋に飾っていた。。 (眼下に雲、朝日を浴びたお気に入りだった) お昼までに下山して、テントを撤収。。 何を、食べたんだろう? 全然覚えていない。。。 後続隊3名と合流。。 そして、薬師沢小屋を目指した。。 S先輩のザックはデカカッタな~。。 薬師沢小屋では、ソーメンを食べた記憶が。。 川原で作ったのかな? (さだかでない。。) 川のすぐ近くの小屋だった。。 雲ノ平を目指す人のベースとなるのかな?(泊) 翌日、いきなり雲ノ平への急登。。 そして、雲ノ平へ。。 ここは、楽園と思った。。 薬師も綺麗に見えた。。 脳裏に焼き付いているのが、女性が一人で前を登っていたこと。。 祖父岳に登る途中だったか。。 陽炎の中のその女性の後ろ姿が、妙に思いだされる。。 凄いな、こんな秘境に一人で。。 と、当時思った。。 その頃、上半身裸で写っている写真がある、真っ黒。。 体によくないよな。。 今は、焼かないようにしているのに、驚き。。 分岐に荷物を置き、黒岳(水晶)をピストンした。。 本当に水晶がへばり付いていた山だった。。 ワリモ、鷲羽岳を登り、三俣山荘に付いた。。 何時頃だったのだろう? テント場で、2つテントを張って、眠った。。 なにを食べたか、全然覚えていない(泊) 朝起きると、槍ヶ岳が良く見えた記憶がある。。 その後、どうしてそのコースをくだったのだろう? よく覚えていないけど、物凄いハードな下山だった。。 もう二度とこんな下山ルートを通る事はないだろう。。 今は、廃道になっていると思う多分。。 湯俣川に降りるルートだった。。 つり橋は、みんな朽ちて落ちてるし。。 (恐かった) 川を何度も、裸足で渡るし。。 今、考えると恐ろしい。。 硫黄の噴出している場所が、何箇所もあった。。 (孤高の人のモデル、加藤文太郎が遭難したのは、1つ 違う沢だったと、S先輩から聞いたことがある。。) (孤高の人を人読むと、冬にこんな所降りて来るなんて、 考えられない!と思いながらどきどきして読んだ。。) 川をそうとう歩いて晴嵐荘が見えた。。 ほんとに長い。。 そこから、高瀬ダムまでが、また長かった。。。 ほんとに長かった。。。。。。。。。 高瀬ダムは、大きな石でできているダムで、珍しいかった。。 そこから更に、歩いた。。。 そして、宿泊施設を見つける。。 そこに泊まればよかったのに。。。。。。。。 凄い失敗をしてしまう。。 次の宿を探そうとことになった。。。 どうしてそうなったのか?よく覚えていない。。 次の宿まで歩くと、ホテルのよう。。 値段交渉。。。 とても泊まれる金額ではなく、なんと食事無しで泊まった。。。 夕飯は、ザックにある残り物を食べた記憶が。。。 物凄く、お腹が空いた記憶がある。。 (━━━━━━┳━━━━━∩━━━━━━┳━━━━━)(泊) 翌日は、バスに乗り、信濃大町に出た。。。 いつか写真入りで、直します。。 今、考えると、どうして双六~新穂高の方へ出なかったのだろうか? |