徒然草 4
或人、法然上人に、「念仏の時、睡にをかされて行をおこたり侍る事、いかがして、この障をやめ侍らん」と申しければ、「目のさめたらんほど、念仏し給へ」と答へられたける、いとたふとかりけり。
また「疑ふながらも念仏すれば往生す」とも言われけり。これもまたたふとし。
ある人が法然上人に、
「念仏を唱えている時、眠くなってしまいますが、どうしたら、仏に対するこのような不始末を解消できるでしょうか?」
と訊ねた。すると上人は、
「目が覚めたら、その時から続きを唱えれば良いんですよ」
と答えた。
また、念仏を唱えることにどんな意味があるのかと疑いながらも、念仏さえしていれば、極楽往生できる運命になるのだとも言ったと聞いた。
まことに尊いお言葉だ。
法然以前の仏教は、戒律重視の宗教だった。法然が登場した平安時代末期から鎌倉時代初期にかけては、貴族文化が衰退し、疫病が流行し、さらに釈迦の教えが形骸化していくという末法思想が広まった。
人々は厭世観に捉われていた。そこへ法然が登場し、ただ念仏を唱えなさい、阿弥陀如来は、全ての人間を極楽往生させたいと願っていらっしゃる、如来に帰依しなさい、それだけで良いのだと説いた。
これが、法然が始めた浄土宗の教えである。
浄土宗のように、念仏を唱えることによって極楽往生できるという宗派を、念仏宗と言います。
念仏は「極楽往生させてください」という請願かと思われているが、実はそうではなく、阿弥陀如来の慈悲深さに感謝するお礼の言葉なのである。
人々が慈悲深い心を持ちさえすれば、それ以上は何も要求しない。この教えを後に親鸞が、浄土真宗という形に発展させた。
吉田兼好が、この法然を取り上げたということは、念仏宗の教えの根本を、兼好は押さえていたのである。