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午前中は、精米工場を見学。ウルグアイで作られる米は、ブラジルやアルゼンチンなど周辺国へ輸出されているそうだ。北米へも売られている。私も近所のスーパーで見たことのあるパッケージの会社だったので、興味深々だった。
日本の米と違って、細長いタイ米のような種類のものだが。 昼は、港の近く(工場からダウンタウンへの帰路の途中)の市場のようなところにあるレストランで昼食。事務所の担当者も同席。ウルグアイはビーフが美味しいので有名だが、どのレストランに行っても、「肉か肉か肉のどれがいいでしょうか?」と選択肢に肉しかないのかい、と言うくらい肉責めにあっていたので、魚介のチョイスがあるレストランで嬉しかった。 迷わず、白身の魚を頼む。なんだか分からないものが来たが、すごーく美味しくて満足。でも、一皿の量がやはり多いので、途中で食べ飽きてしまう。。一皿に大きいのが2匹。。 向かいのボリビア人同僚のステーキと少し交換。ブラジル人同僚のラム肉も少し恵んでもらった。皆よく食べるなあ~。。 ちなみに、食事がサーブされるのが遅かったので、待ち時間のうちに、テーブル(野外テラス)の後ろの出店まで歩いて行き、革の帽子を購入。値切らなくても10ドル程度なのには、感動。短時間のうちに、食事とショッピングと両方済ませて、とても効率的だった気分で、満足~。 よく見ると、周りの同僚もいつのまにか買い物を済ませていたらしく、各自、ビニール袋を下げていた。 食事の後は、そのままバスでコロニアという土地に向けて出発。途中、紙パルプの工場に立ち寄る。ドライバーが道に迷ったため、到着が6時を回ったにもかかわらず、快く、社長が業務説明、工場見学をさせてくれた。ウルグアイは、8時頃に日の入りになるため、まだまだ明るい。 見学を済ませ、またバスに乗り、ホテルについたのは、8時半くらい。各自、シャワーを浴びて、9時半にロビーに集合。。。のはずだったのに、9時半に行くとまた数人しかいない。それでまた、集まっている人たちで、ドリンクを注文し始めて適宜始めながら他のメンバーを待つ。 今回は来れなかったが、ウルグアイ人の同僚からmedio y medio (半分半分)というドリンクを勧められていた(白ワインとシャンパンを半々に入れたもの)ので、それをトライ。 美味しくて病みつきになりそうだった。 感動していたら、他の同僚もオーダーし始めて、我々のテーブルだけ、ちょっとだけmedio y medioブームだった。 あと二人(ブラジル、ボリビア)というところで、ブラジル登場。遅かったねえ、と言うと、そもそも9時半の集合を誰も彼に言っていなかった模様。(集団の先頭でチェックインをしてキーを受け取り、先に部屋に行ってしまったので、我々が「9時半に集合しよう」と決めたときには、既に部屋に行っていたらしい。)私の笑い声とオランダ人の話し声が聞こえたので、降りてきたそうな。。 ボリビア人も同じ理由で来ないんだろうなあと思い電話をしてみると、「ええええ。誰も教えてくれてなかったよ。今からシャワーを浴びてから行くので、待たないで先にレストランに行っていて。」と言われた。。。(いつも移動の際に(面談先の人によく捕まって話しを続けられることが多かったため、バスの戻るのが遅いことが多かった。)、私を待ってくれているのが、ボリビア人、メキシコ人、ベネズエラ人、ブラジル人の仲間なので、なんとなく連帯ができていたので、私がボリビア人に連絡したもの。) 皆に伝言すると、「レストランって、歩いていって、これから決めるのだから、、合流は無理だろう。」との結論になり、また更に待つこと30分。レストランに着いた頃には、お腹すき過ぎて、ほとんど食べれなかったくらい。。 レストランまでの道が石畳で、サンダルの私には、非常に歩きにくい街ではあった。星が綺麗で、途中何人かで見上げていたら、「あれがオリオンで、これが北極星だよね。」と誰かが言った。そうだね。と納得していたんだけど、、よく考えると、南半球だったんだよねえ。。なんで北極星が見えるんじゃい。と後から気付いたのでした。 ちょうど先週がカーニバル(リオのカーニバルが有名)だったが、ウルグアイは、一番カーニバルが長い国と言われるらしい。ちょっとさびれた街のコロニアでも人が列をなしてカーニバル(人口が少ないので、神輿を担ぐ山車1台くらいの人数しかいなかったが。)が続いていた。サンバのリズムで暗い街をぞろぞろ人が歩いていくのは、不思議な感じだった。 夕食は、ウルグアイ版ハンバーガーをいうのにチャレンジ。パンにステーキが挟まっているものだった。 私はここでもやっぱりmedio y medioを注文。酔ってくると周りが英語からスペイン語に切り替わって会話していても、大して気にならなくなった。分かってもらいたいところは英語に訳して話してくるので、もうそれだけ聞いていて、それについてコメントすることにしていた。でも、さすがに、大したこと話ていないので、段段、大まかに何を話しているかはスペイン語でも想像つくようになってきた。言葉がわかるようになったからではない。仲間の性格を見て、多分、こういう類の話だろうという勘が働くようになったんだと思う。英語を使え、英語を。公用語だろうが。と最初は内心むっとする瞬間もあったのだが、いい加減慣れてきたのかもしれない。。または、諦めがつくようになったのか。。 大好きな仲間なのだが、分かる言語で話してくれ~。。。。いつも酔ってばかりではいられないんだから。とその点については、ちょっとだけご不満が残ったのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.02.25 12:40:51
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