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犬を飼う人は多い。
以前、知り合いから、犬とかペットを飼うと家族への愛情が減るから控える主義だ、という話を聞いたことがあった。 曰く、人の愛情のキャパ(他の人のことを考えられる余裕)は限りがあるから、それをペットに分けてしまうのは、乗り気がしない、というものだった。 その時は、なるほど、そんな考え方もあるものかと感心したものだった。 一方で、最近、ペットも飼っていると飼い主とのコミュニケーション能力が高まる(同時に飼い主のペットへの同能力も高まるということ)という記事を読んだ。 飼い犬が飼い主に似てきたり、仲の良い夫婦が似てくるのは、お互いのコミュニケーションのとり方や、方向性が集約されて、より交流できる幅が増すので、自然と反応や振る舞い、しぐさとかが似てくるらしい。 飼い主と飼い犬が何かそっくりだなあ、、とほほえましく思う光景も最近立て続けに見掛けていたのだが、「だからなのか!」とすごく納得した(笑)。 コミュニケーション能力。 思えば、動物好きの母がよくいろんな動物を連れてきていたが(犬、ウサギを飼ってた時期もあったが、時に落っこちていた鳥とか、鴨の赤ちゃんとか、、、、気付けば家にいることがあった。。。一時期に1種だったけど。。)、母は動物に対して、全く警戒心を持たず「分かり合える」とういことを前提として近づいていくので、動物のなつくのかもしれない。。ある意味、それも動物とのコミュニケーション能力と呼んで良かったものなのかもしれない、、。 (というか、動物に対するコミュニケーション光線を母の方から、強烈に発信していたということなのか。。。) ・・・こういう力は、鍛えれば伸びるものなのかもなあ、とも(恐れることがないのも、リスク管理の観点がないことから見るとどうかという話もあるが。。。)思った。 今朝、電車で、車両の揺れで隣のおじいさんが大きく揺れて複数の人にぶつかることがあった。後ろのおばあさんは、「失礼(ごめんなさい)、とか何か言わないの?」と文句を言った。でも、決して嫌味っぽい言い方ではなく、ごく自然な言葉として響いたし、周りも同感だというムードが漂った。 周りの視線がおじいさんに集まる。しーんと静まって、注目される。 でも、おじいさんは何も言わなかった。 周りには不快感を示すため息をつく人もいた。 私は、そのおじいさんがその後、赤くなって、下を向き、次の駅で降りていくのを見ていた。 多分、その人は、「ごめんなさい」が言いたくなかった、意地を張っていたわけではなく、、、本当にとっさに言えなかった気がしてならない。 簡単な一言なのに、口に出せない。 誰にだって、そういう瞬間ってあると思うし、そういうことが苦手な人も確かにいると思う。私もとっさの対応が下手な方なので、自分の不器用さに情けなくなることはよくある(思っているのに、なんとなく照れて反対の反応をしちゃうとか・・・。子供じゃないのに、、全く情けない話ではあるのだが。。) あるいは、友人には謝れても、電車とかで知らない人に謝るのは抵抗がある人だったのかもしれない。まあ、そういう気持ちも分からなくはないかなあ、と。 と、勝手におじさんの気持ちを想像してもおじさんには余計なお世話な話なのだが。 真相はおじさん以外には分からないことだし。 ペットパワーは如何なるものか。 もし、おじさんが私がにらんだとおりの心境の人だったとしたら、、、ぜひ、犬とか飼ってもらって、変化を見てみたいものである(もう柴犬とか飼ってたりして・・・)☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.01.19 21:51:32
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