黒岩涙香『巌窟王』感想~日本人好みの翻案作品
漫画の『モンテ・クリスト伯』,アニメの『巌窟王』に続いて,黒岩涙香の巌窟王を読了したので感想など書いていく。巌窟王 1 引きさかれた愛の鎖【電子書籍】[ 久保田千太郎 ]本来的には,楽天市場から商品を探すべきなのだがないので,amazonのリンクを張っておくから,こっちで商品を探してほしい(商品リンク)。上の商品はあくまで漫画版であって,黒岩涙香のではないです。自分語りからすると,僕が『モンテクリスト伯』を読んだのは,大学1年か2年。たしか,翻案というのにはじめて触れたのが,この数年後じゃなかったか。現代ですらそうなのだが,明治の時代の読者たちは,外国人の名前というのがなかなか頭に入らない。なので,黒岩涙香は登場人物の名前を日本人風に改めている。主人公のエドモン・ダンテスことモンテクリスト伯爵は,団友太郎(だん・ともたろう)こと岩窟伯爵(いわやじまはくしゃく),ファリア神父は梁谷(はりや)神父という具合だ。黒岩涙香の描く翻案小説の世界は,日本でも外国でもない,独特の世界観がそこにある。当世風にいえば,異世界みたいな感じだろうか。こういった名前の変換例でいえば,ユージェニーが「夕蝉」,船乗りシンドバッドが「船乗り新八」になっており,黒岩涙香の言語感覚には舌を巻く。本家と比べて色々語りたいところはあるけれど,2点ほど良かった点をあげたい。まずは冗長な描写のカットがされていて,逆に読み安いところは利点だろうか。本家の『モンテクリスト伯』は岩波文庫で全7巻という大長編なのに対し,黒岩涙香の『巌窟王』はハードカバーで上下2冊。かなり分厚い本だから分冊したとしても,たぶん本家の半分くらいにまとまっているのではなかろうか。次に,主人公である岩窟伯爵の心理描写である。本家の『モンテクリスト伯』において,主人公であるモンテクリスト伯爵の心理描写は,シャトーディフの脱獄を果たしたあたりからほとんどされなくなる。というか,本家の物語構成としては,主人公エドモン・ダンテスが唐突に姿を消し,入れ替わりにモンテクリスト伯爵が登場することになっている。作中ではモンテクリスト伯爵は謎の男として描かれておりつつも,散りばめられたヒントから読者としては,モンテクリスト伯爵の立ち回り方を見ていて,「この男,エドモン・ダンテスでは・・・?」と疑いながら読み進むことになる。なので,モンテクリスト伯爵の心理描写というのは地の文でやることができず,作中ではモンテクリスト伯爵の立ち振る舞いからその感情を推し量るということになっていた。そこは,文豪・アレクサンドル・デュマのすごいところで,具体的な心理描写がなくても,モンテクリスト伯爵が声に詰まったり,沈黙したりするだけで,読者はモンテクリスト伯爵の激情を察することができる。逆に,恩人の破産の危機を救う謎の男(主人公)の行動を見れば,心理描写がなくても主人公の真心というのは十分に分かろうというものだ。しかし,黒岩涙香はそうしなかった。主人公・団友太郎が岩窟伯爵であることは作中では秘密にするが,読者に対しては秘密にしない。なので,懇切丁寧に岩窟伯爵が仇敵の前で激情を押さえつけている心の動きだとか,その苦しみが描かれている。個人的には黒岩涙香の方がよかったかな,と思うところはある。特に,モンテクリスト伯爵は恩人の息子であるモレル大尉に対し,自分の息子にするような愛情を見せるのだが,原作の描写はあっさりしている。これが物足りなかった。一方で,巌窟王では,恩人の息子との交流が十分以上に描写されていて,主人公の恩人の息子に対する深い愛情が伝わってきたのである。総評として,巌窟王が当時の日本でもベストセラーになったのは納得できる。作品テーマとなる復讐だが,江戸時代まで日本には復讐という文化が普通に存在したのだし,受け入れやすかったのだろう。しかも,登場人物の行動原理には,原作にはなかった忠義だとか孝道といった東洋的価値観から説明がされていたりして,いかにも日本人の好みそうな展開も多い。これが絶版だったというのは,本当にもったいないなぁ・・・。