法律と漫画のブログ

2023/07/03(月)11:06

浦飯幽助が妖怪に転生したことへの考察

漫画の研究(8)

幽遊白書について語るシリーズ第3回。「桑原と魔界編」についても考察をしたいのだが,その前に主人公である浦飯幽助が妖怪に転生したことについて語っていきたい。桑原を語るのは,次回にしたい。 さて,幽遊白書という漫画を一言でまとめると,主人公である不良少年,浦飯幽助が妖怪たちと戦うというバトル漫画である。 この中で異色だったのが仙水忍と戦う「魔界の穴編」である。これまで,主人公の幽助は乱童,四聖獣,戸愚呂といった妖怪と戦ってきた。しかし,仙水は妖怪ではない。あくまで人間である。しかも,「魔界の穴編」の終盤,幽助は妖怪へと転生をする。 これまで「人間である幽助」が「妖怪」と戦うという図式が完全に壊れてしまい,「妖怪である幽助」が「人間である仙水」と戦うということになってしまった。また,これまで「人間vs妖怪」のバトルが描かれれば,「人間である幽助」が勝利するという図式だったが,ここでも「妖怪である幽助」が勝利することになってしまった。 そのため,「魔界の穴編」以前とそれ以降は別の作品であるかのように作品の色が変わってしまい,キャラクターの改変がされているように思う。 最も大きな改変は主人公である幽助のパーソナリティだ。 単行本3巻において,幽助は人間の魂を食べるという妖怪・剛鬼について「よくわかんねぇけど,許せない」と口にしている。これは人間として当たり前の感覚だし,少年漫画の主人公としては平均的な反応である。 (単行本3巻76頁。人間の魂を食う剛鬼に対するコメント。) ところが,「魔界編」の冒頭,幽助は「人間を食料にするかどうか」という雷禅,躯,黄泉の対立について「人間を食料」ととらえる点について非人間的な見解を示し,真田黒子に「魔界に行った方がいい」辛らつなと対応をされてしまう。 (単行本17巻158頁。人間を食料とみることに違和感を覚えない幽助。) さらに幽助は餓死寸前の雷禅に対し,「死ぬくらいなら人間を食え。俺がかっさらってきてやる」とまで口にするようになる。 もはや人間のメンタリティではない。 (単行本18巻98頁。ついに食人をすすめる幽助。) 確かに,理屈で考えてみると幽助の考え方もありえる。インド人は牛を食べないし,イスラム教徒は豚を食べない。だからと言って,インド人が日本人に対し,「今後は牛を食べるな」と言ってきたところで日本人的には「好きなだけ食えばいいだろう」と返すことになるだろう。これは文化であり,食料の問題だし,それで戦争までしなくていい。 ただ,僕が人間である以上,牛や豚と人間を同列に扱うことはできない。哲学的な問題になるかもしれないから深くは立ち入らないが,正直3巻の幽助と同様,「人間を食べるのはよく分かんないけど,とにかくダメだ」という理由で十分だ。人間ならそれに疑問を感じる必要はない。 また,幽助が妖怪になったことについて,別の角度から見てみる。 象徴的なのは戸愚呂との闘いだ。人間を捨てて妖怪になった戸愚呂に対し,幽助は戸愚呂を論破して,勝利した。 まさに戸愚呂戦は思想と思想のぶつかり合いだ。初見の際は読んでいてカタルシスを覚えたこの展開も,幽助が妖怪に転生した後に読むと,妙な感情に陥る。もちろん,戸愚呂は自らの意思で人間を捨てて妖怪になり,幽助が妖怪になった点について自分の意思はないのだけど。 (単行本12巻178頁。しがみついてでも守る) 一応,フォローとして戸愚呂が捨てたものは「人間」と「仲間」の2つであり,幽助が「しがみついてでも守る」と言ったものについて目的語が抜けているので,人間性というよりも仲間の方じゃないか,という考え方も充分あるのだけど。 正直,小学生の頃の僕は幽助が妖怪に転生したことについて安易に歓迎していた。悟空が超サイヤ人になったように,幽助もパワーアップしたのだろうと。ただ,幽助のメンタリティの変化を見る限り,安易に歓迎すべき事態ではなかった。 また「人間を捨てて強さを求め妖怪になった戸愚呂」を否定した幽助が妖怪になる…。戸愚呂戦のテーマ自体が否定されてしまう点も問題だ。 では、なにゆえ冨樫先生は幽助を妖怪にする展開にしたのだろうかということ。 中学生の頃の僕は,「人気を取るためのテコ入れかな」と思っていたのだ。ところが,最近になってこの考え方を否定する資料が出てきた。冨樫先生の元アシスタントの執筆した漫画,『先生白書』である。 『先生白書』では幽遊白書の終了を告げられたアシスタントが「洞窟の中の湖のトーンを削りながら」終了のことを考えていた旨のシーンがある。 (『先生白書』131頁。終了を告げられたアシスタントの反応。) この洞窟の中の湖は,もちろん仙水と対決した洞窟のことだ。そうすると,単行本16巻のころだ。 つまり,幽助が妖怪に転生する前の時点で連載終了が決まっていたということになる。僕はてっきり,幽助が妖怪に転生し,魔界編が始まったあたりでの連載終了が決定だと思っていただけに,この時系列の微妙なズレには驚いたものだ。 結局,昔の僕が考えていた,「妖怪化は人気取りのためのテコ入れだ」という説は完全に崩壊する。 そもそも論として幽助が妖怪に転生することで人気が上がったりしたのだろうか。読者は何と思っていたのだろうか。このあたりは気になる。 別の仮説を立てると,冨樫先生はどうにかして連載を終わらせるダメ押しに,幽助を妖怪に転生させて作品のテーマを壊しに来たのではないか? 仮に編集部が「半年後に終了させて良い」と言ったところで,「やはり後3か月…。」などと再度の延長を言ってこないとも限らない。 ある意味で,幽助が仙水との戦いで死亡した時点で幽遊白書は終わったのだ,と考えることもできなくもない。 その後の展開としては,仙水が魔界の扉を開き,人間界は妖怪が支配するようになる。ただ,幽遊白書の世界観においては,人間こそが邪悪なものである。邪悪な人間が滅びればそれでいいのだ。なお,魔界編で「実は魔界の穴が開いても妖怪が人間を食べたり,人間界が魔界化することはなかった」となったが,設定の改変っぽいのでそこには立ち入らない。 ただ,主人公が負けて終わる,といった作品を自殺させるという展開は無理だ。編集が絶対に雑誌に載せることを承諾しないだろうから。ただ,いっそそんな終わり方をする幽遊白書も読んでみたい,と思うのは僕が大人になったからだろうなぁ…。 思うことがあったら,コメントでも残してください。次回は「桑原と魔界編」について書くつもり。 ​ 先生白書【電子書籍】[ 味野くにお ]

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