2007/04/19(木)09:15
塾の歪んだ存在意義は、もう子供も気付いている。
教職員免許という国家資格が存在する日本において、
塾という存在は理論的に考えて完全なノミ行為です。
医療を始め美容に至るまで、無資格ならば悪とされる中、
どのような理念を持ち、どのような価値観を持っておられるのか、
論理的に考えて悪害である状況に身を投じておられる心理が、
まったくといっていいほど理解が出来ないのです。
少なくとも、倫理や道徳を少しでも持ち合わせている人間であれば、
多少なりとも後ろめたさや矛盾を感じておられるはずです。
もちろん。
感情的で道徳的な観点から言えば、
人を教育するという情熱は、
資格など凌駕してしかるべきであると言えます。
しかしながら現在問題になっている
「詰め込み教育」を生み出したのは紛れも無く
このような無資格状態における教育提供者であると言えます。
もちろん資格を所持していようが、落伍者は居ます。
頻繁に報道に乗せられる教師による不祥事を見ていれば、
嫌がおうでもその現実は確認させられます。
しかし、資格所持を原則としている以上、
対策を立てることによって是正を望むことは可能です。
またその方策そのものが資格の意義であるとさえ言えます。
その意義に背き、個々の主観によって思索することは、
原則としてやはり悪害であると私は認識しております。
例えその者が功績を持ったとしても、その行為自体が悪害であると。
天才無免許医師であったとしても、
その資格が無い以上やはりアウトローな存在でしか無いと言えるように。