必須内容。
一考するのは確かに難しい。社会はどんどん複雑化して、関心事がバラバラ。自分にとりあえず関係なさそうなことは、考える暇も興味もない。問題が起こってマスコミでクローズアップされて、それから考え始めるんだから。しかも適当に。複雑化した状態を混沌と感じているのであれば難しい。入ってくる情報はウィルスと同じなんだよ。どこかでそれに気付き、どうにかして「入ってきた情報」を「自分の情報」に変換しなければ、いつまで経っても「病んだ」状態だ。自殺も一種の感染病と言えるんじゃないか。「自殺の名所」なんてある事自体がその証明だろう。反日も嫌韓も情報の疫が成せる事だ。自身の中に抗体があれば、何も混沌としないはずなんだ。でも確かに複雑に多種多様な情報が毎日至る所から入り込んでくる。しかしそれは同時に免疫を求める場も多種多様至るところにあるということなんだ。どんな些細な情報でも、それは全てにおいてしなけりゃならないんだ。それこそ法則化してもいいくらいだ。「受け売り」ほど病んだ状態は無い。情報化社会、ひいては学歴社会が築き上げた最大の弊害だよ。いや、そのシステム自体は社会的な指針を示すために重要だ。むしろ「身の程」を理解できないシステムを利用する側の問題か。情報を頭に入れる行為自体、一考する余裕が無いとしちゃいけないんだ。「詰め込み教育」なんて、詰め込まなきゃ駄目な脳だったら、それはその脳の限界をわきまえず、背伸びしている状態だよ。道徳の一限目はまず「身の程をわきまえる」事を考えさせる内容にして欲しいね。