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竹ちゃんの旅日記のブログ

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2020.06.10
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アオザイの可愛い女性たちと記念撮影
旅をしていると一緒に写真を撮ってもいいですかとよく言われる そのついでに私のスマートフォンで一枚撮ってもらうのだ


2013年3月14日木曜日
ー涙が出そうな昼飯ー

レンガに彫刻して、はめ込んだのではなく
建物を建てたあとに彫刻を施している

ミーソン遺跡群 

ミーソン遺跡群 雨風による風化が進んでいる

ミーソン遺跡群 

ミーソン遺跡群は遺跡公園として整備されている

8世紀ころに建設された建物

ミーソン遺跡群 

建物を建てたあとに彫刻を施している

女性だけ男性のシンボルに触れた
子宝に恵まれると ガイドが説明
ツアー参加者 大爆笑

ミーソン遺跡群 建物の窓

ミーソン遺跡群 草に覆われている
自然の風化などで傷んでいる

ミーソン遺跡群

爆撃で頭がない 左が英語ガイド

まだ風化せず形がくっきりのこる彫られ
たダンスをしている像

ダンスをしている像

腕が8本 足の指は数えられないくらい彫られている

不発弾を処理したもの これでは遺跡は壊れますよね

ユネスコの基金で修復作業している

ツアー代金に含まれていた昼食 涙が出るほどまずかった ご飯の上に申し訳なさそうに しなびた野菜が載っている


入場券 10万ドン(500円)

ホテルの前に8時過ぎにミーソン行きのバスが来た。てっきり、ミーソン遺跡の入り口まで行って各人が勝手に見学するものだと思っていた。それがなんと、英語ガイド付きのツアーだった。45名ほど乗込んでいるが、日本人は私1人だ。言葉を心配したが、ベトナム人ガイドの英語は、はっきりとした発音でゆっくりと区切って話してくれるので私にも半分くらいは理解出来た。やれやれた゛。
帰りは船でホイアンに戻る。写真でも解ってもらえると思うが、全然食欲のわかない昼飯だった。はっきり言ってまずい、ご飯がまずい、おかずといえるのか疑問なしなびた野菜の炒め物、涙が出そうになる。それでも、我慢して半分は食べた。
この旅で初めてご飯を残す。
★上手くミーソン遺跡について説明できないので、ガイドの説明とインターネットで調べた内容を作文した。
チャンパ王国の聖地ミーソン遺跡はユネスコの世界遺産に登録されている。ミーソンは2世紀末から17世紀にかけてベトナム中部から南部にかけて栄えたチャンパ王朝の建造物。ミーソン聖域は、4世紀後半に、シヴァ神を祀る堂を建てたことに始まる。レンガづくりの寺院・神殿はセメントンなどの接着剤は使わずに築かれた。レンガの塔が草むらのあちこち建っている。
文化的にはヒンドゥー教を主体に仏教や土着信仰が入り混ざった独特の文化をつくりあげた。ベトナム戦争で、ミーソンに多くの兵士が隠れたために、何回か爆撃を受け、貴重な建築群が所々崩壊した。それでも、貴重な建築や煉瓦に彫られた像がいまも多数現存している。
明日はフエに向かう。

2013年3月15日金曜日
ーバイクタクシーとの駆け引きー


フランスパンサンドを買い 隣の豆乳屋で低い椅子に座り朝飯 ここの店には竹ゃんみたいな人しか来ません

ホイアンからフエのバス 寝台バスだ

途中のバスステーション

身が厚いスルメ すぐ側は海

3人部屋 クーラー 扇風機 温水シャワー付だ 15ドルを12ドルに値切る

広いトイレ兼シャワー室


王宮 高さ6.6m  全長2.2キロメートルの城壁に囲まれ 外は濠がめぐらせれている


当時の大砲

王宮 

王宮

黄色い屋根が太和殿

城壁

城壁と濠


遅い昼飯 海鮮麺 モヤシとパクチーをたくさん入れて食べる

ホイアンからフエへ向かうバスは、青々とした稲が絨毯のような田圃の中を走り、峠を越え、海岸線沿いを走る。それを何回か繰り返して、4時間でフエに到着。ここでも、バイクタクシーの男がバスに群がる。
本日、バイクタクシーの男と大体次のような会話になった。
(バ:バイクタクシーの男 竹:竹ちゃん)
バ: どこに行いく ホテルは
竹: 10ドルくらいのホテルをしっているか
バ: もちろん知っている 問題ない
竹:- ホテルまでバイク代はいくら
バ: 6万ドン(300円)
竹: 高い 、ホテルまで何キロある
バ: ベリー遠い
竹: だから何キロあるんだ
バ: 3キロ
竹: 2万ドンだ
バ: それはないよ(そのような顔をする)    3万ドン
竹: あんた、俺を連れて行ったらホテルからキックバック貰えるんだろう
バ: ん‥‥、 しょうがない 分かった
以上のような簡単なアジア英語で何とかなる。そして、ホテルに着いて、部屋を見せてもらい、値段交渉しなければならない事態になったら、バイクタクシーの男にここのホテルは10ドルと言われてつれて来られた。と言うと大体の場合安くしてもらえる。これは奥の手です。


2013年3月15日金曜日
ーグエン朝王宮ー


牛門 王宮の正門

黄色の瓦屋根 太和殿 重要な儀式が行われた

アオザイの美女に囲まれて

王宮内部

太和殿

太和殿の中 見学している人の奥に皇帝の椅子がある 写真撮影禁止でした
椅子に近づいて撮影しようとしたら係りに注意された

王宮

王宮


王宮 楼内 

王宮の中は広い



王宮 中庭

城壁と濠


王宮


東南門

ベトナム戦争当時の戦車などが野原に展示されている

東南門

フォン川ほとりの喫茶店 とても涼しかった

フォン川 川幅250メートルはある

これは問題ですよ 昼休みに 小学生相手にお菓子なんか売っている 学校では注意しないんですかね


市場 魚売りの女性

牛門をくぐり、王宮内に入る。王宮の周りは4つの川が取り囲んで自然の濠となっている。城郭は6.6メートルの高さ、全長 2.2キロメートルの城壁に囲まれている。1802年にグエン朝のザーロン帝がベトナム全土を統一し、フエを首都として、城郭都市の建設に着手した。ザーロン帝がベトナムを統一したのはフランスの援助も小さくなかった。その影響もあり城郭の構造はヨーロッパの築城方法を採用している。さらに、古くから中国に脅かされてきた事実があり、中国文化を受け入れることで独立を守ってきた。太和殿は、中国清の紫禁城をまねて規模は大きくないが建築された。第2代のミンマン帝の時代には「紫禁城」と改名されている。1933年に世界遺産に登録された。
王宮内のほとんどの建物がベトナム戦争中の1968年に破壊されて、牛門、太和殿などを残すのみとなった。今現在、少しずつ修復作業が進んでいる。
見学した感想は、全体としてほとんどが中国、中国風だった。
明日は、ラオスのサワンナケートに移動する。













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最終更新日  2020.06.10 08:22:32
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