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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(東京編)
松尾芭蕉が「おくのほそ道」の紀行に旅立った時、矢立の初めとしたのが、日光街道の第一宿場であった千住です。
深川の芭蕉庵を出た松尾芭蕉は、船で隅田川を上って、千住大橋付近の船着場に到着しました。 現在の千住大橋の袂には「大橋公園」があり、隅田川の川岸にはテラス状になった船着場跡があります。 ![]() ここに松尾芭蕉が降り立ったとのことですが、実は松尾芭蕉が船を下りた場所は定かではないようです。 それでも川岸の壁面に描かれた安藤広重の浮世絵を見ると、千住大橋の袂には船着場らしきものが描かれており、やはりここに降り立った可能性は高いのではないでしょうか。 ![]() 隅田川の壁面に描かれた安藤広重(初代)の浮世絵 (左下にあるのは船着場だと思うのですが…) 千じゅと云ふ所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、 幻のちまたに離別の泪をそそぐ 行く春や鳥啼き魚の目は泪 是を矢立の初めとして、行く道なをすすまず。 人々は途中に立ちならびて、後かげのみゆる迄はと見送るなるべし (「おくのほそ道」より、原文) 「矢立の初め」すなわち松尾芭蕉が矢立から筆をとって、旅日記を始めたのが千住です。 ![]() 矢立初めの碑 後ろの橋が現在の千住大橋です。 それにしても「千じゅと云ふ所」とは… 中尊寺や松島を知っていた松尾芭蕉が、日光街道の第一宿場の千住を知らなかったとは思えないのですが。 でもそれが「おくのほそ道」の「おくのほそ道」たる所以でしょうか。 隅田川の川岸の壁面には与謝蕪村の「奥の細道図屏風」が描かれ、長い旅路を行く芭蕉と曾良が描かれています。 ![]() さらに旧日光街道沿いには、松尾芭蕉の像も建ってました。 ![]() ここから奥羽・北陸と巡る、約半年の長い旅路が始まっていきました。 ![]() おくのほそ道 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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